クロアチア・ドヴロヴニクを堪能(11月2日・3日)

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またまた予定を変更して、ドブロヴニクに2泊することにしました。というのは、個人的に「ドブロヴニク問題」が存在したからです。私は4年前にクロアチアを旅しました。ザグレブ、オシェク、ヴコヴァル、ヤセノヴァツ、カルロヴァツ、ザゴーリエ地方、スプリットに行きましたが、人気ナンバーワンのドブロヴニクには行けなかったのです。今回は満を持してドブロヴニクを訪れました。

① 都市国家 ドブロヴニク

15085727_1239313216090198_5490563446352162583_nドブロヴニクは他の都市と異なり「都市国家」という特殊な歴史を歩んできました。「都市国家」とは、日本で例えると戦国時代の堺に近いです。つまり、都市単位で政治、経済とも自立している状態を指します。ドブロブニクは東ローマ帝国から解放され、13世紀から貿易を中心とした海洋国家として栄えたのです。

旧市街にはその名残が随所に見られます。ドブロヴニクのラウンドマークである立派な城壁。城壁の上はお金を払うと一周することができます。私は博物館を見学したかったので、少しだけ城壁を歩きました。思ったよりも城壁は高く、とても見晴らしがよいです。日本では全く見られない建築方式なのでとても新鮮。まるで、空中散歩しているみたいな感覚です。

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次に、文化博物館(総督府)に行きました。この総督府は少し変わっています。地震などの影響で再建された結果、様々な建築方式が入り混じった形になっています。「総督府」なのでもっと豪華な内装かと思いきや、とても質素でした。「都市」の場合は実用性を好むのでしょうか。

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ドブロヴニクは町をふらふら歩くだけでも、とても楽しいです。急な坂にはかわいい猫が昼寝をしています。地元の人が通り過ぎてもじっとしていますが、なぜか私が通ると逃げてしまいます。これはなぜでしょうか。夜は夜で本当にいい雰囲気です。夏だと、ビールを飲みながら海風に当たりながら過ごす。考えただけでも、いいですね。

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② スルジ山とユーゴ紛争

午後、ドブロヴニクを一望できるスルジ山に登りました。ただ「登った」と言っても、ロープフェーを使いました。スルジ山に登ると文字通り、旧市街を一望できます。上から見ると旧市街は思ったよりも小さく見えます。何か、服のポケットのような感じです。

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展望台から少し目をそらすと、何やら壊れかけの建物が見えます。実は、これはユーゴ紛争の際、セルビア、ユーゴ軍が破壊したものです。1991年、セルビア、ユーゴ軍はドブロヴニクの背後の山に陣を敷き、ドブロヴニクを攻撃。多くの貴重な建物に被害が出ました。

それにしても、なぜセルビアがドブロヴニクを攻めたのか、今ひとつ分かりません。ドブロヴニクはクニンと比べると、セルビア人は少なかったはずです。貴重な文化財を狙って、クロアチアを心理的に追い詰めようとしたのでしょうか。スルジ山であれこれ考えましたが、答えは出ませんでした。

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紛争の影響で、一時期ドブロヴニクは「危機遺産」に登録されてしまいました。それでも、人々の懸命な努力によって、ドブロヴニクは不死鳥のごとく蘇ったのです。しかし、世界各地ではまだ多くの「危機遺産」があります。「危機遺産」がゼロになることを願ってやみません。

③ ホステルでクロアチア話に花が咲く

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私は2年前にクロアチアの歴史、政治に関して修士論文を書いたので、他の人より少し、ユーゴ、クロアチアの歴史を知っています。4年前はクロアチア語も勉強しましたが、今は完全に忘れてしまいました。全く出てきません。

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それでも、初代大統領、フラーニョ・トゥジマンや1970年代に起きたユーゴ体制に対する反発を示した「クロアチアの春」など、クロアチア現代史で話が盛り上がりました。また、私のクロアチア国歌であれだけ喜んでくれたのは、本当に嬉しかったです。やっぱり、「国歌」は人と人をつなぐ重要なアイテムになるのですね。

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