【北部ポーランドの都市】琥珀に連帯ーグダンスクー(9月10日)

筆者撮影筆者撮影




今日はグダンスクの町歩きを紹介します。ここでしか見られないアイテムや考えさせられたことがたくさん。つぶさに見てきたことをシェアしたいと思います。

① 素朴な美しさ 琥珀

筆者撮影

筆者撮影

バルト海に面したグダンスクで目につく物は琥珀です。琥珀は木に蓄えられた樹液が固まり石に変化した物を指します。時には植物や虫が入り込んだ物もあります。ちなみに、何も入っていない琥珀よりも虫などが入った琥珀の方が価値があるそうです。

バルト海は琥珀の産地で有名ですので、グダンスクにあるほとんどのお土産屋には琥珀があります。さて、私は琥珀を買わずに琥珀博物館を訪れました。グダンスクの旧市街の入口付近に博物館はあります。中に入ると琥珀がたくさん。正直、思っていたよりも派手ではなく、素朴な印象を受けます。確かに、虫の入っている琥珀は面白いです。何だか古代のロマンを感じますね。

② しばらく旧市街を散歩

筆者撮影

筆者撮影

しばらく旧市街をぶらぶらと歩いていました。グダンスク、ドイツの歴史を知っている方ならドイツ語名「ダンチヒ」の方が馴染み深いかもしれません。第一次世界大戦後、ダンチヒはどこの国にも属さない「自由都市」というかなり特異な位置付になりました。当時はドイツ人が多く住んでいたのですが、ポーランドと関税同盟を結ぶことにより、ポーランド側に有利な形になっていました。「自由都市」が終了したのが1939年。つまり、ナチスドイツがダンチヒを攻めた都市です。そうです、ここグダンスクから第二次世界大戦が始まったのです。

筆者撮影

筆者撮影

街を歩くと、ドイツ人が多く住んでいたせいか、ドイツの雰囲気が少し感じられます。もちろん、多くのドイツ人観光客も目につきます。旧市街ではポーランド人の老人がドイツ人観光客に向かってヤジを飛ばすシーンも見られました。

歩いていると、素敵な音楽を奏でる管弦楽団を発見。「ムーンリバー」など本当に美しく弾いていました。ヨーロッパではこういったストリートミュージシャンもレベルが本当に高いです。音楽自体は「メディアろっこう」を通じて流せればと思います。

筆者撮影

筆者撮影

お昼になり、「ミルクバー」で昼食を取ることに。「ミルクバー」とは共産主義時代にできた食堂です。安価で食事が食べられますが、ライバル店の進出により急速に数を減らしています。店内は質素な雰囲気です。上のメニュー写真を指さしながら注文します。ポーランド風カツレツのセットが何と500円程度。これには驚きました。カツレツは油ぽくなく、サクサクしており本当に美味しかったです。

③ 「自由化」はここから始まった

筆者撮影

筆者撮影

グダンスクで忘れてはならないのが、自主労働組合「連帯」です。1980年、グダンスクの造船所で働いていたヴァヴェンサが共産主義圏では初となる自主労働組合「連帯」を結成。これから、1980年代後半の民主化の流れが始まるのです。

そこで、午後は中央駅の近くにある「連帯博物館」を訪れました。館内はハイテク機器を駆使しており、力の入れ方が伝わってきます。主に1980年の「連帯」の結成から民主化、そして東欧圏の崩壊まで年代順に展示されています。改めて驚いたことは、ストライキ・デモ隊に対する政府の弾圧が厳しかったことです。放水車はもちろん、銃を使って多くの人々を殺しました。それでも、人々は諦めず「自由」を求めたのです。

館内には実態に逮捕者を乗せるためのトラックも展示されていました。生半可な気持ちですと、たぶん挫折していたと思います。動画から「本気度」が伝わってきます。少し感動して涙が出そうになりました。

筆者撮影

筆者撮影

この「連帯」の活動が成功した理由は、一つ目に明確な目標、要求があったことが挙げられます。きっちり、10の要求を当局に提示。造船所にも掲げられました。二つ目に徹底した非暴力運動を貫いたこと。これは1970年代のデモの失敗が生きていると思います。おそらく内部分裂を画策し、「暴力」に訴えたエセ活動家もいたでしょう。それでも基本原則を守ったことは並大抵な努力ではできないと思います。

展示物を見ながら、なぜ日本ではデモで政治が動かないか分かるような気がします。ここまでしないと、世の中は変わらない。そのように感じた一日でした。そして「自由」の有り難みも。

前の記事 次の記事


Translate »