【ウクライナの歴史を学ぶ】「スラヴの母」を感じさせる街 キエフ(11月29日~12月4日)

筆者撮影筆者撮影

私はこの旅の最後の街にウクライナの首都、キエフを選びました。なぜなら、スラヴ民族、最初期の国家「キエフ・ルーシ」が建国された地だからです。スラヴ国家を周遊した旅の最後に相応しい街だと思います。ちなみに、現在のロシアの語源はこの「ルーシ」が基になっています。ですから、「ルーシ」と「ロシア」は区別しなければなりません。少々複雑ですが。

さて、キエフには約1週間いました。ほぼ毎日、キエフに住む友人に案内してもらいました。そこで、キエフは2部構成で紹介したいと思います。全てを紹介することはできません。印象に残ったポイントを中心に書きます。

① 歴史の重みを感じさせるソフィア聖堂

筆者撮影

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キエフ=ルーシが大変古い国家なので、当然キエフには由緒正しき立派な教会が存在します。その代表格が聖ソフィア聖堂。11世紀に建立され、キエフ・ルーシの司教座として利用されました。その後、一時期、ウクライナ・カトリックの教会に使われるなど複雑な歴史をたどりながら、現在は博物館として利用されています。

日曜日は友人と夜にソフィア聖堂に行きました。もちろん、中は閉まっていたので、改めて翌日1人で見学することに。外観はロシアに似ているようで似てないような気がします。それも、そのはずソフィア聖堂は16世紀に「ウクライナ・バロック」に改装された経緯があるからです。その後、ウクライナのバロックがロシアに大きな影響を与えるのです。解説はこれくらいで。

中に入ると、派手さはないのですが、なかなか立派なイコンのモザイク画が見られました。中世の物だと言われない限り、つい数百年前に描かれたモノと勘違いするほど新鮮さを感じます。残念ながら、中は写真撮影厳禁。これを直接伝えられないのが残念です。全体の雰囲気から歴史の重みを感じました。

② キエフの母のような存在 キエフの大門

筆者撮影

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キエフの母のような建物はこの「キエフの大門」です。地下鉄駅の出入り口の前にドンと建っています。なかなかの存在感。母というべきか野武士のような存在です。11世紀、キエフの全盛期にこの門が完成しました。ここが、最初の街の境だったわけです。それが時を経て、どんどん街は膨張。現在でも地下鉄が伸びているように、膨張は止まっていません。まるで、街の成長を日々見つめているような感じです。

正面は「門」という感じですが、横を見ると矢倉のような形状をしているところがおもしろいポイント。このチグハグ感も見逃せないと思います。

③ 追悼は続く 独立広場

筆者撮影

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2014年、一躍有名になったキエフの独立広場。訪れた時は大戦間期、ソ連が犯した大飢餓政策を追悼する灯火が灯されていました。1930年代前半にかけて、ソ連は意図的に、ウクライナで飢餓を起こしました。強引な集団農場化、農民からの食料強制徴収により多くの罪のない一般人が犠牲になったのです。今でも、国民全体で傷の癒えない苦しみを分かち合っているような雰囲気でした。

独立広場にある灯火が大変美しいのです。美しいからこそ、余計に儚く映るのかもしれません。灯火に代表される美しい儚さこそがウクライナそのものを象徴しているような気がします。それでも、苦しい状況でも何とか前を向いて歩もうとしているウクライナ。このエネルギーは私たちにとって何か参考になるのでは、そう思いながら歩きました。

④ 教会だらけ

筆者撮影

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キエフは本当に教会が多い街です。これも教会、あれも教会という感じ。ロシア革命以前は角には教会があったみたいです。その中でもお気に入りは 聖ミハイルの黄金ドーム修道院。ずばり「青い教会」。私は個人的に青色が好きなので、この教会を見た瞬間、すぐに好きになりました。持って帰りたいぐらいです。

教会の代わりに増えているのが、大統領が経営するチョコレート店「ロシェン」。ポロシェンコ大統領の名前に由来すると思うのですが、どうもネーミングセンスが。。。

キエフの位置


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