【スロバキア東部】案外、都会だったスロバキア第二の都市コシツェ(9月22日)

         筆者撮影     筆者撮影




スロバキアで2番目に大きい街、コシツェを歩きました。思っていたよりも洗練されており、都会です。こういう書き方をすればスロバキア人に怒られそうですが。それもそのはず、実はコシツェは2013年度の欧州文化首都に選ばれているのです。そんな知られざるコシツェをレポートします。

① ブラチスラバ在住の方はコシツェが大好き

筆者撮影

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街をぶらぶら歩き、中心にある公園のベンチに座りました。すると、50代から60代くらいのスロバキア人の男性に声をかけられました。私はスロバキア語は話せませんが、ロシア語なら少しは話せます。その方はロシア語が話せたのでいろいろと話してました。男性は、コシツェ生まれで首都ブラチスラバに在住、統計関係の専門家だそうです。

私は質問しました。「スロバキアの今はいいですか、スロバキア経済はいいですか」と。そうすると、彼は自信たっぷりの顔で「スロバキアはいい。経済もいい。ここ、コシツェは最高だよ。ビールは多く入れてくれるし安いし」と答えてくれました。今、コシツェは工事真っ盛り。少なくとも、景気は上向きに感じました。

② コインとミイラの奇妙な組み合わせ

筆者撮影

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次に、コシツェ最大の博物館。「東スロバキア博物館」に行きました。ここの最大のウリは1935年に発掘された金貨のコレクションです。16世紀~17世紀に使われていた金貨がズラーと並んでいます。圧巻です。イングランドからトランシルバニアまで様々な金貨がコレクションされています。その中で目を引いたのが、ネーデルランドの金貨の多さ。やっぱり、この時代はネーデルランドが世界の中心だったのですね。

筆者撮影

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地下に行くと、同時代のミイラが展示されていました。残念ながら、ミイラは写真撮影厳禁だったので、ミイラの写真はありません。スロバキア語の説明だけでしたので、よく分かりませんでした。それにしても、「金貨とミイラ」奇妙な組み合わせですね。

③ コシツェの良さとひっそりとした現代史の展示

筆者撮影 コシツェ宣言に関する碑文

筆者撮影 コシツェ宣言に関する碑文

コシツェは第二次世界大戦後のチェコ、スロバキアの歴史を語る上で重要な地です。1945年、チェコスロバキアの亡命政府とチェコスロバキア共産党がここで「コシツェ宣言」を発表。連合政府を樹立することを決定しました。

ところが、この後、チェコスロバキアは共産党一党独裁体制になるのです。何か博物館で展示でもあるかと思いましたが何もありませんでした。「コシツェ宣言」を発表したホールに碑文があるだけ。あまり触れたくない黒歴史なのでしょうね。

筆者撮影

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コシツェの良さは一日で見られるコンパクトな美しい町並みと物価の安さが挙げられます。ポーランドほどではありませんが、サラダとパスタのセットでも1000円で済みます。また、コシツェは13世紀の文献にも出てくる古い街。ブラチスラバだけでなく、コシツェにも足を伸ばして見てください。


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