【クラクフと日本】B級のクラクフめぐり(9月15日)

筆者撮影筆者撮影

クラクフはポーランドの京都と呼ぶべき存在です。中世の頃はクラクフに都が置かれ、中国などからも産物が届きました。言わば商業センターの役割を果たしていたのです。さて、今回は一般的なコースではなく、すこし変わったB級のクラクフめぐりをしました。

① 日本美術技術博物館(マンガ)を訪れたが

筆者撮影

筆者撮影

クラクフには日本の伝統工芸を扱った専門の博物館(通称、マンガ)があります。もともと、フェリックス・マンガ・ヤシェンスキ氏が日本の美術を収集していたのが始まりです。博物館はヴィスワ川沿いに建てられており、正面にはヴァヴェル城が見えます。建物は磯崎新氏による設計です。さて、肝心の展示物を見たかったのですが、あいにくリニューアル中で見学できませんでした。

その代わり、博物館の中にある食堂で牛丼を食べることに。出てくるのに30分ほどかかりましたが、つゆだく風の牛丼でとても美味しかったです。もちろん、板前さんは日本人です。クラクフに住み始めて5年ほどのこと。すっかり、ポーランド、クラクフを気に入っている様子でした。

② ユダヤ人居住エリアで難民問題を考える

筆者撮影

筆者撮影 シナゴーグ

次はかつてユダヤ人が住んでいたカジミエシュ地区。クラクフにはポーランドでもユダヤ人が多く住んでいました。現在でもユダヤ人の血を引くポーランド人5000人がクラクフに住んでいます。また、現役のシナゴーグが7箇所もあります。

しかし、ある契機を境にユダヤ人は激減してしまいました。それが第二次世界大戦、ヒトラーによる「ユダヤ人絶滅政策」です。これにより、ポーランド国内に住んでいたほとんどのユダヤ人が迫害を受けました。また、戦後の共産主義政権もユダヤ人には冷淡な姿勢で対峙しました。

筆者撮影

筆者撮影

歩きながら現在の中東からの難民問題を考えました。下手をすると、第二次世界大戦のユダヤ人のような誤ちをするような気がするのです。やはり、紆余曲折はあるにせよ、比較的、余裕のある国は受け入れるべきだと思います。それが、新たなアイディアが生まれ、その国の「進歩」につながるかもしれません。

私たちはイスラーム教徒に対して過度な反応をしていると思います。どうも、ポーランドでも議論が分かれているような気がします。友人でもはっきりと意見が異なっていましたから。

話は脱線しましたが、私はこのシナゴーグの独特の雰囲気が大好きです。ヘブライ文字に結構あこがれます。旧約聖書の世界、ユダヤ文化、イスラエルにも行ってみたいですね。残念ながら、石を積み上げる独特のユダヤ人墓地はユダヤ人の祝日のため見られませんでした。

③ 織物会館を訪れる

織物会館の内部

織物会館の内部

やはり、クラクフに来たからには、織物会館(一番上の写真)は訪れるべきでしょう。先ほども書いた通り、クラクフは商業センターの役割を果たしていたのです。その商業センターの象徴が織物会館なのです。13世紀に建てられました。ところで、クラクフはポーランドの良さが、そのまま残っている街です。なぜ、残ったのでしょう。

それは、3国分割時代に、クラクフがオーストリア=ハンガリー領だったからです。オーストリア=ハンガリー帝国は諸民族に対して寛容な姿勢で有名でした。クラクフは本当にラッキーだったのです。ちなみに、現在の織物会館は土産屋のアーケードになっています。少し値段が高いような気がしますが。

④ 念願のコンサートを聞く

筆者撮影

筆者撮影 コンサートの様子

旧市街広場(中央広場)にある小さな教会で午後の6時からミニコンサートが行われています。ところが、4年前は日程が合わなくてコンサートに行けませんでした。今回はきちんと聞けました。クラシックから映画まで管弦楽で素晴らしい演奏でした。やはり、クラシックコンサートで味わう夜はいいですね。ウィーンのコンサートも楽しみです。


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