「立憲民主党」ー約100年の時の流れを経て 

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みなさん、こんにちは。2017年10月3日、枝野幸男さんが新たなリベラル新党「立憲民主党」を立ち上げました。ところで、この「立憲民主党」という党名、実は約100年前のロシアに存在したのです。今回は「立憲民主党」が結党されたことを祝って、ロシアの「立憲民主党」を解説したいと思います。

① 立憲民主党が結党された1905年はどんな時代?

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ロシアで立憲民主党が結党されたのは今から112年前の1905年のことです。当時、ロシアはまだ「ロシア帝国」という王様がいた時代でした。ロシアは工業化、都市化が進んでいましたが、農民、労働者の生活は困窮。絶望的に格差が広がっていました。

「もうこんな生活はコリゴリだ!」1905年1月21日、サンクトペテルブルクで大規模な行進が発生。行進を指揮したのはガボン神父でした。ガボン神父は集会の自由、報道の自由、議会、法の平等を訴えた請願書を皇帝に渡そうとしていたのです。なお、この時点では「帝国」を壊すことを目的とはしていません。

しかし、この行進に対し、軍が発泡。約1,000人が亡くなりました。この事件を「血の日曜日事件」といいます。これを機に、全国でゼネストが発生しました。ロシア皇帝、ニコライ2世は事態を収拾するために「十月詔書」を発表。国会(ドゥーマ)の設立を認めました。「血の日曜日事件」を含めた一連の出来事を「1905年革命」といいます。

② 漸進的改革を目指した立憲民主党 

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このような混沌とした時代に、ロシアでは3つの政治的流れが生まれました。

1:ロシア社会民主労働党(マルクス主義)後にボリシェビキとメンシェビキに分かれ、ボリシェビキが共産党になる

2:社会革命党(農民を基盤とした政党)ロシア社会民主労働党とはライバル。十月革命に反対した

3:立憲民主党(漸次的改革)リベラル派。立憲君主制を目指した。親西欧諸国。

立憲民主党は責任政府(内閣)制を求めました。つまり、国会が内閣を組織、内閣は国会に対して責任を持つシステムです。現在の日本と同じシステムと考えていいでしょう。もちろん、後にソビエト連邦をつくるロシア社会民主労働党とはまったく異なります。

③ 臨時政府の主役だった立憲民主党 

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「1905年革命」をなんとか乗り切ったニコライ2世でしたが、1917年3月に革命が勃発。ニコライ2世は退位を余儀なくされ、ロマノフ帝国は終わりを迎えました。この出来事を「二月革命」といいます。ここでの「二月」はロシアの旧暦に基づきます。

その後、新たな憲法を決める「憲法制定議会」を将来、設立することを決定。それまでの間、「臨時政府」が国を統治することになりました。立憲民主党は「臨時政府」で主導的な役割を果たしたのです。なお他に「臨時政府」に参加したのは社会革命党、メンシェビキ(ロシア社会民主労働党だが、レーニンのグループとは異なる)です。

「臨時政府」は政治犯の釈放、言論の自由の尊重、階級制度の廃止など、かなり大胆な政策を約束しました。一方、第一次世界大戦は継続したのです。このとき、レーニン率いるボリシェビキは在野に回りました。

「臨時政府」とボリシェビキとの対立はどんどん深まることに。ついに、ボリシェビキは「臨時政府」を力づくで破壊! 「臨時政府」を追い出し、権力を握りました。これが有名な「十月革命」です。立憲民主党はボリシェビキから「人民の敵の政党」という烙印を押され消滅しました。

④ 日本の立憲民主党はどうなるか

せっかくなので、日本の立憲民主党にも触れておきましょう。今回は民進党のいわゆる「リベラル派」の党員が「希望の党」に入れないことから誕生した政党です。「希望の党」はリベラル派を「排除」したのですから。

しかし、民進党は公認を出さないので、「希望の党」に入れなかった民進党党員は無所属で出馬しなければなりません。無所属ですと比例に出ることができません。最悪の場合、今回の選挙では「リベラル」という選択肢がなくなる危険性があったのです。

「立憲民主党」ができたことで、「リベラル派」の党員は比例にも出馬できるようになりました。この時点で、国民には「リベラル」という選択肢が用意されたことになります。今は少数野党ですが、もしかするとロシアの「臨時政府」のように主導権を握るかもしれません。

参考文献

小田健 著『ロシア近現代と国際関係―歴史を学び、政治を読み解く』ミネルヴァ書房、2017年。

和田春樹他著『ロシアを知る事典』平凡社、2004年。

 


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