【ルーマニア・ティミショアラ】ルーマニア「革命」のスタート地点(11月11日)

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進路を東に変えルーマニアに到着しました。中東欧で唯一のラテン系の国になります。さて、中高年の方なら「ルーマニア」と聞くと「チャウシェスク」という言葉が浮かぶかもしれませんね。1989年までルーマニアはチェウシェクスという独裁者によって支配されていました。そして、チャウシェスクは1989年のクリスマスに夫人と共に銃殺刑に処せられます。その模様は全世界に放映されました。この「革命」の発端になったのがティミショアラなのです。今回は、現代史を中心にティミショアラを語りたいと思います。

① 多くの犠牲者を出しながら

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「革命」の発端になったティミショアラ。まずは、歴史を知るために1989年革命記念博物館に行きました。まずはティミショアラのデモ運動のビデオを見ることに。1989年、12月16日、ハンガリー系住民の牧師ラースロー・テケーシュの国外追放を批判するデモから始まりました。デモは日増しに大きくなり、ついに「チャウシェスク打倒」「自由選挙の実施」といった体制転換を求めるデモに変化したのです。

これに対してチャウシェスクは軍に対して、デモ隊を射殺するよう指示。多くの犠牲者が発生しましたが、デモは収まらず、ついに首都ブカレストに飛び火。12月22日、チャウシェスク夫妻は首都ブカレストを脱出し政権は崩壊。12月25日にチャウシェスクは銃殺されたのです。

筆者撮影

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私はビデオや本などでブカレストの動きは知っていましたがティミショアラの状況は知りませんでした。ビデオを通じてブカレストよりも同等、もしくはそれよりも悲惨な状況で人々が立ち上がったことが分かりました。それにしても、12月16日からわずか1週間。人々の怒りのパワーは半端ではなかったのでしょう。

② スタッフはアジアの状況に驚く

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ルーマニアでは悲惨な独裁体制は終わりましたが、アジアでは未だに残忍な独裁者がのさばっています。その代表格が北朝鮮でしょう。そもそも、チャウシェスクは中国と北朝鮮は訪問した後、ルーマニアを「北朝鮮化」しようとしたのですから。これを博物館のスタッフに言うと「ひどい話だ」と北朝鮮に同情してくれました。

日本では共産党が一定の影響力を持ち、若者の間にマルクスやエンゲルスの本が人気であることを伝えると、驚いた顔をしていました。スタッフは「共産主義は平等を唱えた一つの思想だが、非実用的。日本で共産党が人気だということに驚いた」と話してくれました。我々よりもルーマニアの方々は「自由」「人権」に敏感なんだなあ、と話しながらヒシヒシと感じました。

③ ティミショアラにあるルーマニア正教のイコノスタス

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その後、ルーマニア正教の三成聖者大聖堂に行きました。意外に思われるかもしれませんが、ルーマニアは正教の国なのです。

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さて、教会に入ると、豪華なイコノスタス(イコンの壁)が目に飛び込んできました。ものすごく豪華絢爛です。1989年の時は、ここで多くの人々が「平和」を願う祈りをしたそうです。

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