なぜ、ロシアはヨーロッパで嫌われるのか(第二次世界大戦から1)

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みなさん、こんにちは。チェコ、ポーランドなどの中欧諸国に行くと、ロシアの評判はすこぶる悪いです。なぜ、ロシアはこれほどまでに嫌われているのでしょうか。その理由を聞くと、多くの人々が第二次世界大戦におけるソビエト連邦の動きを強く批判していることがわかります。ソビエト連邦は第二次世界大戦から戦後にかけて、どのような動きを見せていたのでしょうか。今回はそのあたりをつぶさに見ていきたいと思います。

① ポーランド国内軍(AK)を見殺しにしたソビエト連邦 

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すべての現象を書くことは紙面の都合上、不可能。したがって、第1章ではポーランド国内軍(AK)とソビエト連邦の関係を見ていきます。ご存知、第二次世界大戦はポーランドのグダンスクからスタートしました。ポーランドはナチス・ドイツによって占領されたのです。ポーランド政府はイギリスに逃げ、イギリスに「亡命政権」を樹立しました。

一方、国内ではレジスタンス、ポーランド国内軍(AK)が活躍していました。AKはポーランド亡命政権に忠誠を誓い、ナチス・ドイツと戦っていたのです。

AKの存在を苦々しく思っていたのがソビエト連邦のスターリンでした。スターリンはポーランドをソ連の勢力圏に組み込むことを画策。この計画を遂行するにあたり、AKはあまりにも邪魔な存在でした。

スターリンから見ると、イギリスの「亡命政権」は反共産主義、つまり資本主義政権でした。そして、AKは「亡命政権」を支持する反ソ組織とみなしたのです。

1944年、ソ連軍はポーランドに侵攻。1944年7月22日、へウムにてソ連のサポート受けた「ポーランド国民解放委員会(PKWN)」が一方的に、自分たちが将来のポーランドの主導権を握る! と宣言したのです。つまり、この時点でポーランドにはAKとPKWNの2つの主要組織が存在していたことになります。

1944年8月1日、AKは首都ワルシャワにて一斉蜂起をしました。これが世にいう「ワルシャワ蜂起」です。AKはソ連軍が来る前に勝利し、自分たちの政権を打ち立てようとしたのです。それを知っていたのでしょう、ソ連軍はここで放置プレイ。結局、AKは敗北し、廃墟となったワルシャワにソ連軍が侵入し、全てが終わりました。

ちなみに、ソ連ではポーランドを「解放」したと解釈していますが、この当時のポーランド人から見ると、ソ連軍による「占領」と映ったそうです。ソ連軍はワルシャワのみならず、あらゆる都市で地元住民に対して蛮行を働きました。

しかし、ポーランド側はソ連軍の動きに対して改善を求めても無視されました(戦後、西独指導部ですらソ連軍による「蛮行」の被害を受けた女性の訴えを黙殺したのですから)。この「蛮行」の「記憶」は今のロシアに対するイメージに少なからず影響を与えていると、筆者は考えています。

② ビエルト&ウーファでのコミンテルンスクール 

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さて、戦後、ポーランドのトップになったのはビエルトという人物でした。1943年秋以降、ビエルトはポーランド労働者党の指導者でした。同時に、彼はNKVD(KGB)のメンバーでもあったのです。ここで、少しビエルトの動きを紹介しておきましょう。

ビエルトは1939年までワルシャワにいたことは確認されています。その後、ナチス・ドイツが侵攻してきたと同時に、ソビエト連邦に逃げています。正確には1941年5月まで、キエフにいました。

その後、ビエルトはソ連のNKVDの職員となり、ソ連、スターリンといい関係を築いていきます。なお、スターリンはポーランド領内にいたポーランド人の共産主義者は全く信用していませんでした。

1941年、スターリンは当時存在していた共産主義国際組織「コミンテルン」の本部をバシコトルスタン共和国の首都、ウーファに移転させています。そこで、教育施設をつくり、そこでポーランド人をはじめとする外国人を教育したのです。ここで、教育を受けた人々と先生は戦後、各国で活躍しました。

トレーニングではマルクス・レーニン主義の授業はもちろん、ロシアにおける労働運動の歴史も受けさせられたとか。試験もきっちりとありました。そして、ロシア人だけでなく、いろんな国から来た共産主義者を「先生」として雇っていたのです。

そして、1943年秋、ビエルトはポーランド労働者党のトップになったわけですが、ポーランド人の間には全く知られていない人物でした。それでも、ソ連がバックにいたので、実権を握れたわけです。

一方、ポーランドにいたビエルトのライバル、共産主義者ゴムルカは一度、失脚します。理由は簡単、ソ連から信用されていない人物だったからです。

このように、ソビエト連邦はそれぞれの国にいる共産主義者さえ信用しませんでした。ソ連でトレーニングを受けた人物を、諸外国のトップに就任させたのです。

やがて、彼らはスターリン同様の政治スタイルをとったことから「小スターリン」というネーミングが付けられます。このあたりも、ソ連、ロシアが嫌われる理由でしょうか。

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