みなさん、こんにちは。今回は6月に訪れたリトアニア・ラトビアの旅行からラトビアにあるルンダーレ宮殿をご紹介します。
ルンダーレ宮殿はラトビアの首都、リーガからバスを乗り継ぐこと約2時間。ロシア風の豪華な宮殿です。それでは、ルンダーレ宮殿を見ていきましょう。
ルンダーレ宮殿へのアクセス
ルンダーレ宮殿へはリーガから「バウスカー(Bausuka)」行きのバスに乗りましょう。バウスカー行きのバスは1時間に1本~2本の頻度で運行されています。
バウスカーで「ルンダーレ宮殿(Rundāles pils)」方面行きのバスに乗り換えます。ルンダーレ宮殿方面行きのバスはバウスカーのバスターミナルで購入しましょう。
スタッフは英語が話せ、ルンダーレ宮殿~バウスカー間の時刻を教えてくれます。バウスカーからルンダーレ宮殿までは30分ほど。ドライバーにルンダーレ宮殿に行くことを伝えましょう。ルンダーレ宮殿バス停からルンダーレ宮殿までは徒歩数分です。
18世紀に完成した夏の宮殿、ルンダーレ宮殿
ルンダーレ宮殿が完成したのは18世紀のこと。宮殿の主はクールラント大公のピロン公です。クールラント公国成立したのは16世紀です。
それまで隆盛を誇っていたリヴォニア騎士団が周辺諸国から攻撃を受けていた時代でした。リヴォニア騎士の最後のトップ、ゴットハルト・ケトラーがポーランド・リトアニア公国の封臣になり、クールラント公国が成立しました。
ルンダーレ宮殿ができたのはクールラント公国の最末期。ちょうどロシア帝国の編入前に当たります。クールラント公は世継ぎが絶えたため、ロシア帝国のアンナ女帝はバルト・ドイツの貴族、そして愛人であったピロン公にクールラント公国を与えました。
ルンダーレ宮殿の第一印象はロシアの宮殿に似ていること。それもそのはず。ルンダーレ宮殿の設計者はロシアのサンクトペテルブルクにある「冬宮」もつくったからです。ドイツ人が築いたリーガとは雰囲気が異なります。
外装だけでなく内装も侮れない
それではルンダーレ宮殿の中を見学しましょう。なおルンダーレ宮殿内は土足厳禁なのでご注意ください。
まず前半(といってもかなり最初のほうですが)のハイライトが「黄金のホール The Gold Hall」です。とても広く、写真以上に豪華絢爛。周りの観光客も口を開いたまま、上を見ていました。
「黄金のホール」では大切な会議が行われました。内装はロココ様式になっており、ドイツのベルリンとポツダムから来た技師が手がけました。天井はイタリア人画家が描いたとか。ドイツとイタリアがミックスした部屋です。
次に青色の壁と青色のペチカが目立つ「青の間 The Blue Room」を見ましょう。天井の装飾は1760年代に描かれました。少々わかりにくいですが、床は18世紀のものです。
ペチカは後に修復されたもの。ルンダーレ宮殿の大部分は1980年代に修復されました。男性にも女性にも気に入る部屋でしょう。
最も華やかな部屋が「ローズの間 The Rose Room」です。「ローズの間」は本当にメルヘンチックな部屋。ゆっくりと鑑賞してみましょう。内装の壁画はドイツ人とイタリア人が描きました。ペチカはロシア・サンクトペテルブルク製の模造品です。
ルンダーレ宮殿のダイニングルームもなかなかのものですが、チェコの宮殿と比べるとシンプルです。
ダイニングルームの隣にはおなじみのビリヤードの部屋がありました。きっと夕食後にビリヤードを楽しんだことでしょう。楽しんでいる様子をあれこれ推測してみましょう。
ビリヤードの部屋はビリヤードだけでなくバックギャモンもありました。さながらゲームセンターですね。
一部の部屋にはこのような東洋趣味の家具もありました。近世ヨーロッパの宮殿には必ずといっていいほど、東洋趣味な家具があります。
貴族にとっては東洋趣味の家具を持つこと自体がステータスだったのでしょう。ぜひ、部屋だけでなく家具類も観察してください。
③ ルンダーレ宮殿の庭園もお忘れなく
ルンダーレ宮殿の魅力は宮殿だけにとどまりません。宮殿の近くにある庭園も見ものです。ルンダーレ宮殿の庭園はフランス式になっています。
残念ながら私が訪れた日はくもり。なかなかいい写真が撮れませんでした。晴天の日に行くときっと美しいことでしょう。
庭園はあまりに広大なため、行き過ぎると迷子になりそうです。庭園には小さな池もありますが、船遊びをするには小さすぎます。貴族たちはどのようにして、この池で遊んでいたのでしょうか。
庭園に行く途中、宮殿の1階回廊にはこのようなエリアがありました。おそらく、狩りで獲った動物を飾っているのでしょう。昼間はいいですが、夜見ると怖いでしょうね。
④ リーガからの日帰りは可能
なおルンダーレ宮殿は十分、リーガから日帰りで行けます。午前にリーガを出発し、夕方に帰ってくるイメージです。