なぜユーゴ紛争は起きたのか①

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突然ですが、なぜユーゴスラビアは崩壊したのでしょうか。この問にはたくさんの答えがあると思います。今回は岩田昌征さんの本を使って少しだけ解説します。ユーゴ崩壊の問題はもしかすると我々にも関係するかもしれませんよ。

 

① 現代社会の基本的理念とは何か 

いきなり硬い問ですが、日本に限らず私たちが暮らす現代社会の基本的理念とはなんでしょうか。いい変えれば、現代社会において目標にしているキーワードですね。

 

いろいろな答えがあると思いますが、人間史において大きな転換点になったのが1789年のフランス革命です。フランス革命では「自由・平等・友愛」が叫ばれました。この「自由・平等・友愛」が現代社会の基本的理念とここでは仮定します。

 

なぜなら「自由・平等・友愛」というキーワードは子どもでも知っているはず。また、このキーワードに異論を挟む人は少ないと思います。「自由・平等・友愛」このキーワードを確認してください。

 

ザックリ書くならば、私たちの社会は「自由・平等・友愛」の3要素から成り立っています。しかし、国ごとにより、3要素のバランスは異なります。いや、国というより体制ごとに異なるのかもしれません。

 

② 自由主義社会、ソ連社会、ユーゴ社会で考えてみる 

さて、先ほど「自由・平等・友愛」のバランスは体制ごとに異なるかもしれない、と書きました。ここでは「自由」が強い体制、「平等」が強い体制、「友愛」が強い体制を考えていきましょう。

 

まずはわかりやすい「自由」が強い社会から。「自由」が強い社会はすなわち自由主義、つまりは私たちが暮らしている日本社会です。言うなればアメリカ社会ですね。国から「あーせ、こーせー」と言われることなく、自由に何でもできる社会です。

 

「平等」を重んじる社会はソ連型社会主義体制ではないでしょうか。「自由」を後回しにする形でソ連は「平等」な社会の建設を目指しました。程度の差はあれ、「平等」の社会は完成したと思います。旧東欧圏を旅すると「あの頃はみんな等しかった」というセリフをよく耳にするものです。

 

最もイメージしづらいのが「友愛」を重んじる社会です。これはユーゴ型自主管理制度が当てはまります。ユーゴでは民族分け隔てなく人々の協議(話し合い)をベースにしていました。

 

特に企業で顕著に見られたわけですね。さまざまな民族が共に仲良く、共に話し合いながら物事を進める、抽象的ですが、そのようなイメージです。

 

③ 自由100%、平等100%、友愛100%の社会はどうなるか 

何回も書くとおり「自由」「平等」「友愛」の基本的理念に基づいて私たちの現代社会は存在しています。それでは「自由」100%、「平等」100%、「友愛」100%の社会はどうなるのでしょうか。言い換えれば「自由」100%、「平等」0%、「友愛」0%にしたらどうなるのでしょうか。

 

「自由」を追求しすぎると、他者に頼れない社会、自分で始末をつけるしかない社会になります。最近のキーワードですと「自己責任」ですね。自分で始末をつけるしかない、となると人々は「自殺」を選択します。つまり「自由」の追求の裏側は「自殺」となります。

 

「平等」の追求に関してはソ連のスターリンを連想するとわかりやすいでしょう。少しでも上流になればすぐにシベリア送り、粛清。

 

まるで、国がブルドーザーを使って無理やり大地をならしているような感じですね。当然、粛清=死ですから、国による殺人が横行するわけです。「平等」の追求の裏側は「国による殺人」です。

 

またまたイメージしづらいのが「友愛」の追求です。話し合いや会議を追求すると、多少なりともメンバーの間で不信感が生まれます。

 

ちょっとした不信感を重ねていくと、やがて仲間同士の喧嘩に発展するかもしれません。険悪な関係になってもテーブルに座り続けると、とんでもないことになるかも。「友愛」の追求の裏側は「仲間同士の殺し合い」です。

 

④ 「仲間同士の殺し合い」とは

勘の良い人なら気づいているかもしれません。ユーゴ崩壊の原因はユーゴスラビア指導部のスローガンのひとつ「友愛」の追求の結果ではないか、ということです。それでは具体的にどのようなことが考えられるでしょうか。

 

たとえば、企業Aにセルビア人とクロアチア人がいたとしましょう。順調に物事が進んでいると問題はありませんが、深刻な問題が起こるとやっかいです。実際に課題をめぐって自然と民族別、つまりセルビア人従業員とクロアチア人従業員との対立が起こることは十分に考えられます。

 

また、トップを選挙で選びセルビア人が当選するとしましょう。企業が悪化するとトップ個人の資質に疑問を呈するはず。その一方、「あのセルビア人のせいだ」「セルビアが悪い」と思うクロアチア人がいたとしても不思議ではありません。

 

仮に民族別に不信感を持っている従業員同士が何回も会うと、よほどのことがない限り、民族間の問題は深刻になるでしょう。実際、ユーゴ紛争では従業員同士の殺人がよく見られました。

 

「友愛」追求型社会だと、問題が起こると頼れる他者がいる分「自分は悪くない」と考える。そして、国はそれほど強くないから、それほど「国のせいだ」と考えない。他者との結びつきが強い分、「あいつのせいだ」と思う。このように書くと、わかりやすいのではないでしょうか。

 

少し抽象的な議論になりましたが、ザックリと書くとこのようになります。ユーゴ紛争は民族対立と捉えがちですが、実はユーゴの自主管理制度から生じた紛争ではないか、そのように考えることもできるのです。

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