ブダペストでハンガリー動乱を学ぶ 

筆者撮影
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すいません、すっかり日にちが空いてしまいました。ブダペストにある日本人宿でのんびりしていたら、記事がお留守になってしまいました。

何とか、気張って記事を書きたいと思います。今まで、なぜか空白エリアになっていたハンガリー。その穴を埋めるべくブダペストを観光しました。

シュテファン大聖堂に少し似ている聖マーチャーシュ教会

筆者撮影

まずは、王宮周辺に行くことにしました。ウィーンでも最初は王宮を訪れましたから、当然、ブダペストでも王宮を先に訪問。ただ、王宮は思っていたりも小さかったです。

やはり、ウィーンなどの大きな王宮を見たせいでしょうか。少し肩透かしでした。その代わり、おもしろかったのが聖マーチャーシュ教会です。

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13世紀に建てられた由緒正しき教会です。ただ、この教会で変わっているのは、途中オスマン帝国の攻撃によってモスクに変えられたこと。イラストでもいいのでどのような変化があったのか確認したかったです。

今日、聖マーチャーシュ教会を調べると柱の幾何学模様にイスラーム教の影響が見られる、とのこと。もう少しじっくりと見るべきでした。

1956年博物館で感じた恐怖

筆者撮影

次に、くさり橋を渡り、国会議事堂の近くにある1956年博物館に行きました。これは地下にある無料の博物館となっています。ハンガリーにとって1956年は忘れられない年です。

当時、社会主義制度の下でナジ・イムレ首相が中立化、ソ連型社会主義の放棄を宣言。それに激怒したソ連が2度に渡り、ハンガリーに侵攻。多数の死傷者を出しました。展示では主に民間人に対するソ連軍の攻撃に的を絞っていました。

特に、バーチャル動画で戦車が横から来て、いきなり曲がって真正面に向かって進み、私をめがげて「バーン」と打つシーン。あれにはショックを受けました。

平和的なデモにいきなり戦車から発泡される恐怖。数々の資料、展示から肌で感じることができました。グダンスクの連帯でもそうですが、このような方々がいて、今があることを忘れてはいけないと思います。

テロ博物館は充実していたが、少し物足りない・・・

筆者撮影

最後にホステルの近くに有るテロ博物館を訪問。ものすごく人気の博物館で日曜日ということもあり、長蛇の列。

展示室に入るのに15分もかかりました。この博物館は第二次世界大戦(ハンガリーのファシスト政権によるテロ)と社会主義時代の2本立てになっています。

ただ、どちらかというと後者の比率が高いように感じました。強引な社会主義政策(追放、秘密警察による逮捕、国有化)がいかにハンガリー人にとって辛いものであったかが、よく分かります。1956年以前のハンガリーは北朝鮮とさほど変わらなかったわけですから。

個人的には1956年のハンガリー動乱以降のハンガリー社会も説明して欲しかったです。1956年以降、ハンガリーは社会主義国の中で比較的自由な国だったわけですから。まだ歴史的な評価が定まっていないのかもしれませんね。

(10月18日)

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