えっ、一党独裁ではない? 東ドイツは多党制の国だった?

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こんにちは。今回はドイツ民主共和国(東ドイツ)の政治体制を手短に解説します。よく東ドイツをはじめとする共産主義国家は「一党独裁」と思われがち。実は「一党独裁」と完全に言い切れない部分がありました。一体、どういうことでしょうか。

東ドイツは多党制? 

東ドイツで最も党員数が多く、指導的立場にあったのがドイツ社会主義統一党(SED)でした。それではナチスドイツ時代のように全議席がSEDが占めていたかというとそれは違います。SED以外には以下の政党が人民議会(国会)に議席を有していました。

ドイツキリスト教民主同盟

ドイツ自由民主党

ドイツ国民民主党

ドイツ農民党

「あれ? ドイツキリスト教民主同盟は西ドイツにも同じ党があったのでは・・・」と思った人はエライ! そうです、西ドイツの主要党とそっくりの名前ですね。一見すると多党制に見えます。それでは西側と同じような多党制だったかというと、それは違います。

会派は事実上一つだけ、オール与党体制 

一般的に議会にはいくつかの会派があります。会派とは議会内で同じ動きをするグループみたいなもの。言うなれば党よりも緩いグループです。与党、野党がある議会では当然のことながら会派は複数あります。

東ドイツはSEDと上記の4つの党が一つのブロック「民主ブロック」を形成していました。つまり、ほとんどの議員さんが同じ行動をするということ。野党は存在せず、他党は指導党であるSEDの決定を指示、追認するだけでした。

選挙でも西側諸国と東ドイツは大きく異なっていました。日本のような西側諸国では一つの選挙区に複数の候補が立候補します。当然、当選する人もいれば落選する人もいます。

東ドイツでは選挙でも一つのブロックしかなく、一つの選挙区に立候補者一人になるよう調整していました。つまり東ドイツにとって選挙は信任投票でした。ところが「信任せず」に投票すると、重い社会ペナルティーが加えられることに。結局は全立候補者が当選することが前提となっていたわけです。

一ブロックしかありませんから、各党の議席配分も決められていました。最も多く割り当て割れていたのがSEDです。したがって、東ドイツではSEDのトップ=国のトップであり続けたわけですね。

なぜSEDが指導党なのか

ところでなぜSEDが国を指導する立場を得られたのでしょうか。単純に書くとソ連のお墨付きのもと、東ドイツ憲法にSEDが国を指導する立場にあると明記されたから。東ドイツに限らず共産主義国家は党が国よりも上にあることが特徴です。

 

 

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