みなさん、こんにちは。今回はスターリン体制について考えてみたいと思います。スターリンとはいわずと知れたソ連の最高指導者。彼は第二次世界大戦を勝利したと同時に、多くの人々を不幸にした指導者でもあります。また、スターリン体制はソ連だけでなく、周辺諸国に輸出されました。スターリン体制を知っても損はないと思います。
「潜在的な敵」を抹殺するスターリン体制
スターリン体制の特徴的な点は「潜在的な敵」を抹殺すること。つまり「ソビエト連邦、社会主義建設に驚異だと思った人物」はその人が現在どのような立場であれ、粛清されることになります。
粛清される人物はブルジョワジーだけではありません。クリミア・タタール人やチェチェン人など、民族ごと追放されるケースも見られました。
ここにナチス・ドイツとの違いが見られます。ナチス・ドイツの粛清対象者はあくまでも「今、体制にとって脅威になる人物」。だから、血眼になってユダヤ人を大量虐殺したのです。まあ、ユダヤ人虐殺はドイツ人のガス抜きという考えもできるでしょうが。
さて、「潜在的な敵」を見つけ出すには高度な秘密警察網が必要です。そのため、スターリン時代は秘密警察(内務人民委員部 NKVD)が重宝されました。NKVDのトップは単に秘密警察を掌握するだけでなく、政治にも深く関わりました。
スターリン死後「さすがにNKVDはやりすぎだろう」という声から内務省に統合され、1954年に国家保安委員会(KGB)として独立しています。KGBのトップは1967年まで、国の重要事項を決める政治局員にはなれませんでした。
スターリン体制=個人崇拝
スターリン体制のもうひとつの特徴が個人崇拝です。個人崇拝とは手っ取り早く書くと、指導者を神のように崇め、絶対視すること。スターリン体制では町の至るところにスターリンの肖像画が掲げられたことはもちろん、スターリンの発言が絶対視され、スターリンを賛美する歌が次々とつくられました。
このような調子だと、スターリンに対して意見を述べることはとんでもないこと。事実、スターリン存命中の会議では一方的にスターリンが話すことがほとんどだったとか。下手なことをいえば粛清ですからね。
また、徹底的な子どもへのプロパガンダ教育もスターリン体制の特徴といえるでしょう。夏休みになると、サマーキャンプという形で田舎へ出かけ、みっちりと政治教育がなされました。
もちろん、座学だけでなく様々なプログラムを通じて国に尽くすことを教え込まれるわけです。なお、同じでないにせよ、現在のプーチン体制でもこの類のサマーキャンプは行われています。
他国へ輸出されたスターリン体制
スターリン体制はソ連にとどまらず、他国へ輸出されました。輸出先は第二次世界大戦後に社会主義陣営になった国々。つまり、東欧諸国ですね。また、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にもスターリン体制は輸出されています。
そう、現在の北朝鮮の体制のプロトタイプはスターリンの時代につくられたもの。後に北朝鮮独自のイデオロギーである主体思想が注入されました。
さて、東欧諸国の指導者は「小スターリン」と呼ばれました。その字のごとく、スターリンのパペットのような指導者だったわけですね。チェコスロバキアのゴットワルト、ポーランドのビエルト、ハンガリーのラーコシは典型的な小スターリンでした。
小スターリンのほとんどは第二次世界大戦中、ソ連でみっちりと政治教育を受けました。ソ連国内には外国人向けに政治教育を行う特別キャンプが置かれていたとか。第二次世界大戦中も断続的に行われていました。
戦後、東欧諸国ではスターリン体制がそのまま引き継がれ、国情を無視してソ連式の政治が行われました。これにより、いかに国がズタズタになったか。後はご想像にお任せします。
スターリン体制は1956年に終了した
スターリン体制は1956年に行なわれたフルシチョフ第一書記による「スターリン批判」で幕を閉じた、と考えていいでしょう。フルシチョフはスターリン体制を痛烈に批判。特に罪もない人々の大粛清や個人崇拝に対する批判は有名です。
「スターリン批判」に伴い、ラーゲリー(収容所)からは多くの人々が解放され、個人崇拝も終わりました。「スターリン批判」と同時に東欧諸国でも同じようなことが起きたのです。
しかし、社会主義陣営の中には「スターリン批判」を批判する国もありました。それが中国やアルバニアです。両国は事実上、ソ連とは関係を断ち、独自路線を進むことになります。
なお、フルシチョフはスターリン体制の原因をソ連の社会主義システムとは結びつけませんでした。あくまでも、スターリン個人のせいにしたのです。