【ウクライナ西部を訪ねる】光と影の共存 リヴィウ(11月24日~28日)

筆者撮影筆者撮影

ウクライナの西部の街、リヴィウに着きました。ここは旧ソ連色が薄く、ポーランド色が濃い街となっています。同時に、ウクライナ国民運動の中心となった街でもあります。リヴィウには4泊しました。その様子をコンパクトに書きたいと思います。

① どこでもウクライナ語、ポーランドのような街並み

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リヴィウに着いて驚いたことはロシア語が全く聞こえないことです。ポーランド語のような言葉が耳にしますが、よく聞いてみるとポーランド語ではありません。この未知の言語こそが、ウクライナ語なのです。ウクライナでは歴史的な影響から、第一言語がウクライナ語であるウクライナ人は多くありません。例えば、前に紹介したオデッサではウクライナ語よりロシア語を耳にします。ここ、リヴィウではウクライナ語が第一言語です。

筆者撮影

街に出てみると、ソビエトスタイル(横に無駄に長い威圧感たっぷりの建物)は少なく、ポーランドのような街並みが並びます。第二次世界大戦まではリヴィウはポーランド領でしたから無理もありません。本当にポーランドに戻ってきたような感覚です。

また、路面電車が素晴らしい。久々に見たチェコスロバキア製のタトラカー。車内を覗くとドイツ語のステッカーが貼ってあったので、チェコスロバキア製で東ドイツで使われ、ここで第二の人生を歩んでいるのでは?と予想します。丸型のタトラカーは残念ながら2011年に廃車された模様です。

話が大きく脱線しました。

筆者撮影

    アルメニア教会

当然、教会も正教会だけでなく数多くの宗教の教会がリヴィウには存在します。まず、リヴィウを始めとする西ウクライナはキリスト教カトリックの信者が多いことが特長です。ポーランド時代に作られたカトリック教会が点在します。

おもしろいことにリヴィウにはアルメニア教会もあります。リヴィウにアルメニア?私の頭の中では?マークが点灯していました。調べてみると、12~13世紀、トルコからの攻撃にあったコーカサス地方の人々がリヴィウに逃れ、この地に教会を建設したとのこと。なかなかユニークな建物で歴史を感じさせます。

② 赤と黒の旗 ウクライナ民族運動

筆者撮影

リヴィウには2つの旗が目につきます。一つ目はもちろんウクライナ国旗。二つ目は赤と黒の旗。パッと見た時は「アナーキストの旗かなあ」と思いましたが、これはウクライナ民族主義運動の旗なのです。ウクライナ、特に西ウクライナの現代史は本当に複雑です。

第一次世界大戦後、一瞬、「ウクライナ人民共和国」という独立国家ができましたが、ソ連赤軍によって潰されました。第二次世界大戦、ウクライナ蜂起軍はナチスドイツ、ソ連を相手に戦いましたが敢え無く敗退。独立を勝ち取ったのは1991年のことです。

この旗を売っているウクライナ人に話を聞くことができました「クリミアは取られたが、東部ウクライナは一部しか取られなかった。これはウクライナ国民が頑張ったから、ロシアは自分たちの望みを達成することはできなかった」と堂々と話しました。国土が奪われたから悲壮感たっぷりなのかと思いきや、反骨精神で堂々と語る姿が印象に残りました。

③ 影の部分、ソ連、ドイツによる粛清の歴史

筆者撮影 この写真は特に印象に残りました

ウクライナの民族的な運動が盛んな街ですから、当然、大国による弾圧も凄惨を極めました。ソ連、ナチスドイツで使われた牢獄が博物館になっています。第一次世界大戦以降、この牢獄はソ連→ドイツ→ソ連という順で使われてきました。主に政治犯が収容され、多くの方々が処刑されたのです。リヴィウで特徴なのはナチスドイツ軍が撮影した死体を掘り起こす写真が残っていること。

ドイツ側のプロパガンダが入っていることを考慮しなければなりませんが、累々たる屍の前で泣き崩れる家族の写真を見ると涙が出てきそうになります。その後、ウクライナ勢力はナチスドイツに反旗を翻し、ナチスドイツも多くのウクライナ人を処刑することになります。

筆者撮影

このような歴史があるから、リヴィウの人たちは自分たちの街、自分たちの国に誇りを持っているのだろうな、と。旧市街を歩きながらふと思いました。

リヴィウの位置

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