ウクライナ・チェルノブイリツアーに参加してみた

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私は5月に2週間かけて、ドイツ、ベラルーシ、ウクライナ、ハンガリーを旅しました。今回はその中で最も印象に残ったウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所のツアーを見ていきます。

チェルノブイリ原発はもちろん、捨てられた街、プリピャチやソ連がつくった秘密の巨大レーダーも紹介します。

そもそも、チェルノブイリ原子力発電所に行けるの? 

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チェルノブイリ原子力発電所が普通の観光スポットではないことは多くの読者が知っていると思います。そしてチェルノブイリ原発といえば、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故を思い浮かべるでしょう。

この事故により多くの人々が亡くなり、今も後遺症に苦しんでいる方がたくさんいます。またチェルノブイリ原発から30km圏内は立ち入りが制限されています。

ここまで書くと「チェルノブイリ原発に行けるの?」と思うでしょう。現在は現地ツアーに参加すれば、誰でも簡単にチェルノブイリ原発に行けます。

放射線の線量も事故当時と比べれば、格段に減っています。短期間の観光であれば健康には問題ないようです。

チェルノブイリ

私はウクライナにある旅行会社、Solo East TRAVELが主催する現地ツアーに参加しました。事前にホームページで予約することができ、費用は1人10,000円前後です。飛び入り参加は不可なので、必ず事前に予約しておきましょう。

前半のハイライトはソ連の秘密レーダー 

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スタートはウクライナの首都キエフにある独立広場(マイダン)から。朝8時にミニバスに乗り込み、チェルノブイリ原発へ出発です。この日の参加者は15名ほどでした。途中、チェックポイントがあるので、パスポートを持っていくことを忘れずに!

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チェルノブイリ原発30km圏内でパスポートチェックを受けます。ここから、立ち入りが制限されており、事実上人は住めません。

そのため捨て去られた村があちこちにあります。この建物は地域の文化センターとして使われました。見事に自然に返っています。

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中も当時のまま。共産主義の未来を信じるスローガンがむなしく感じます。30km圏内はそれほど線量は高くありません。場合によっては、キエフよりも線量が少ないことも。あまり危機感は感じませんでした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAチェルノブイリ村に入ります。チェルノブイリ村は約80年の歴史を持ち、第二次世界大戦以前は多くのユダヤ人が居住していました。

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チェルノブイリ村の外れにあるのが、ソ連がつくった巨大なミサイル検知レーダーです。とても大きく、なかなかカメラに収まりません。この巨大レーダーは1970年代につくられたもの。

 

敵国から発射されたミサイルを関知できるように設計されています。当時、このレーダーをつくるにあたり、原発1個分の費用になったとか。現在は使われていません。

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周辺には廃墟になった軍の施設もありました。この巨大レーダーの存在は「秘密」とされ、地図には青少年向けのキャンプ場とされていました。皮肉にもチェルノブイリ原発事故により、巨大レーダーの存在が明らかになりました。

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冒険心がある方なら、思わず登りたくなるでしょうが。それは御法度! 実際に登って、大変な目にあった旅行者がいるので、登らないようにしましょう。

いよいよチェルノブイリ原子力発電所へ 

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いよいよチェルノブイリ原発へ向かいます。食堂とチェルノブイリ原発の間には10km圏内のチェックゲートがあります。10km圏内になると、お店は一切ありません。

また10km圏内になると線量が高いため、地面に触ることはNG! カバンも地面に置いてはいけません。

明らかに30km圏内とは異なり、緊張感があります。その前に、コパチ村に寄り、線量を測ってみました。どんどん数値が上がり、値は毎時4.7マイクロシーベルトに! 

現在、日本は毎時5マイクロシーベルトで緊急事態宣言ですから、ほとんど「危ない」値です。思わず、背中がゾクッとしました。

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「これだけ線量が高いのに、チェルノブイリ原発はどのような雰囲気だろう」期待半分、恐れ半分の気持ちでチェルノブイリ原発へ向かいます。

ところが、天気のせいか拍子抜けするほど明るい雰囲気でした。一言で「チェルノブイリ原発」といっても、複数の原子炉があります。左側に見える真新しいドームのような施設が事故を起こした4号炉です。

4号炉以外は事故以降も稼働し、最終的にチェルノブイリ原発の運転が終了したのは2000年のことです。

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こちらがチェルノブイリ原発4号炉です。みなさんのイメージですと、コンクリートで固められた石棺を思い浮かべるでしょうか。

急ごしらえでつくられた石棺は老朽化が進み、放射線が漏れ出る危険性があったので、新たな「石棺」がつくられました。完成したのはなんと今年! 

建設にあたり多くの国々が参加しました。人間の英知の愚かさと賢さが合わさった何とも複雑なスポット。真新しい「石棺」を前に複雑な気持ちになりました。

チェルノブイリ原発周辺はコンクリートが多いせいか、線量は毎時1~2マイクロシーベルトでした。

ゴールデンシティーから自然へ帰る、プリピャチ 

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チェルノブイリ原発を見た後、最後の目玉であるプリピャチへと向かいました。プリピャチにはチェルノブイリ原発で働く労働者を中心に5万人が暮らしていました。

 

チェルノブイリ原発事故が起こり、完全なゴーストタウンに。現在は原発事故の恐ろしさを伝えるシンボリックなスポットになっています。

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お化け屋敷のように見えますが、こちらはお洒落なカフェでした。1986年以降の写真を見ないと、全く想像がつきません。

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このように「店内」にも入れます。大きなガラスが散乱し、棚が倒れていますが、何となくカフェの雰囲気は感じられます。きっと、休日にはここで一息入れていたのでしょう。

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こちらは机の配置からわかるとおり、学校です。事故後、プリピャチにあった学校は全て閉校になりました。プリピャチに住んでいた子供たちは順調に大人になったのでしょうか。廃墟を見ながら、いろいろ考えました。

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団地もこのとおり。まだ、木々に囲まれながらも「団地」とわかりますが、年数が経てば木々に埋もれてしまうのでしょう。

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さて、この建物は何かわかりますか? こちらは映画館です。側面にはユニークな彫刻がありました。プリピャチは人口約5万人でありながら、文化施設が充実していた街であることがわかります。

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中に入るとボロボロですが、映画館らしいお洒落な雰囲気を感じることができます。いったい、ここで人々はどのような映画を鑑賞していのでしょうか。

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少し歩くと、ちょっと開けた場所に着きました。実はここがプリピャチのメインスクエアです。周辺には文化施設やホテルが立っています。ただし、木々の成長がすさまじく、10年もすると「広場」とは思えないスポットになるでしょう。

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劇場の倉庫を覗くと、きれいな状態でソビエト連邦の政治家の肖像画が置かれていました。左側の肖像画はゴルバチョフの政敵であったロマノフ政治局員だと思われます。

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最後に原発事故の恐ろしさを伝えるスポットが遊園地です。この遊園地はオープンの前に事故が起きたので、一度も開園することなく今日に至っています。

 

風が吹くと、遊具から「キーキー」とまるで、子供のような鳴き声のような音が。本来なら楽しい雰囲気なのでしょうが、何とも気味の悪いところです。

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ところで、この観覧車の裏はとても線量が高いです。線量計で測ると、毎時10マイクロシーベルトでした。きっと雨でも流れることなく、放射線が溜まっていくのでしょう。

こうして、チェルノブイリツアーは終わりました。キエフに着いたのは19時頃でした。キエフに着いた瞬間、複雑な気持ちから整理がつかず、しばらく立ち尽くす私がいました。

お問い合わせはこちらからお願いします。

2019年3月14日:修正

チェルノブイリ付近の位置

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