映画にもなった!冷戦の暗黒面を学ぶベルリンの旅

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今回は冷戦の暗黒面を学ぶベルリンの旅を紹介します。具体的には東ドイツ関連のものが中心になります。近年、東ドイツを背景にしたドイツ映画が生まれていますが、この記事を読んでおくと、映画の予習はバッチリです。それでは見ていきましょう。

壁だけではなかった? ベルリンの壁 記念センターから

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「ベルリン」と聞くと「ベルリンの壁」を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、写真のように壁だけがドンと立っていると思っている方も多いのでは? 

実は、ベルリンの壁は「壁」だけではありません。ベルリンの壁 記念センターに行くと、ベルリンの壁全体を見渡すことができます。

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説明より前にこの写真を見てください。手前が旧西ベルリン、奥が旧東ベルリンです。壁よりも砂場のほうが目立ちますね。そして、砂場には監視小屋みたいな建物があることがわかります。

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少しクローズアップしてみましょう。すると、私たちがよく見る壁の砂場を挟んで反対側にもうひとつ、低い壁があるのに気づいたでしょうか。

つまり、ベルリンの壁は「二重の壁」になっていたのです。そして、わかりにくいですが、低い壁の近くには壁沿いに鉄条網が張られていました。

西ベルリンの人は壁に触ることができました。しかし、東ベルリンの人は低い壁に触ることすらできませんでした。なぜなら、低い壁から2m以内は立ち入り禁止エリアだったからです。

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見張り小屋には銃を持った2人の監視員が常駐していました。もし、壁を越えようとする者がいたら、容赦なく射殺です。

1961年から1989年の間にベルリンの壁を越えようとして亡くなった者は少なくとも136人と言われています。

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ところで、ベルリンの壁を越えようとして逮捕されると、どうなるのでしょうか。逮捕された場合、初犯が懲役2年、再犯が懲役8年でした。

もちろん、釈放された後も秘密警察にマークされることは言うまでもありません。

監視国家、ドイツ民主共和国を支えた秘密警察を学ぶ

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さて、ドイツ民主共和国(東ドイツ)は徹底した監視国家でした。監視国家を支えたのが「シュタージ(国家保安省)」です。

シュタージのことを学ぶために、シュタージ本部を利用した博物館に行ってみました。

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さて、こちらがシュタージの本部です。一見すると、団地のような建物ですね。シュタージはあくまでも秘密警察なので、目立たないところに本部を置いていたのでしょう。

建物全体から伝わってくる無機質な雰囲気がたまりません。

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まずは、最も有名な東ドイツのスパイ(シュタージのスタッフ)を紹介しましょう。右側に座っている人物は1970年代に活躍した西ドイツのブラント首相です。

そして、ブラントの耳元で囁いている人物がいますね。この人物こそが東ドイツのスパイ、ギヨームです。ギヨームはブラント首相の個人秘書として働き、西ドイツの情報をこっそりと東ドイツに伝えていました。

つまり、西ドイツのシークレット情報はすべて東ドイツに筒抜けだった、というわけです。

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シュタージは身近なところにいました。たとえば、こちら。観光客を装ったシュタージのスタッフです。写真を見ると怪しさが伝わってきますが、群衆に紛れ込むとわからないでしょう。

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こちらは西ベルリン発西ドイツ行きの列車の車内です。西ベルリンは東ドイツに浮かぶ小島のような存在でした。したがって、西ベルリン発西ドイツ行き列車は東ドイツ国鉄によって運営されていました。

さて、この車掌さん。実は車掌であると同時にシュタージのスタッフでした。

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それでは、シュタージはどのように活動していたのでしょうか。こちらのシュタージのスタッフは西ドイツと東ドイツの国境にあたる料金所付近をモニタリングしています。

実は東西ドイツ国境の料金所付近の駐車場では西ドイツ人と東ドイツ人が接触していました。もちろん、東ドイツ人が西ドイツ人と接触するのは御法度! 

あとで、接触した人物を特定できるようにこっそりとビデオ撮影していました。

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「そうは言っても一般の人は関係ないでしょ」と思っているあなた。シュタージは日常生活にも入り込んでいました。

たとえば、こちらのじょうろ。普通のじょうろに見えますが、実は底にはカメラが仕組まれています。そして、このじょうろは上半分と下半分で分割でき、上半分だけで水を満たすことができました。

このような道具を使って、人々を監視していたのです。

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また、郵便局員の職員にもシュタージの者がいました。小包(特に西側から)は容赦なく開封されました。

なお、シュタージは正規スタッフだけでなく、非正規スタッフ(非公式協力者)も抱えていました。つまり、友人、家族の中にもシュタージの非正規スタッフがいたようです。

ベルリンの壁崩壊後の調査ではシュタージの正規スタッフが約9万人、非正規スタッフが約19万人おり、1,600万人の東ドイツを監視していました。

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最後にシュタージの会議室を紹介しましょう。ここではシュタージの高官やドイツ社会主義統一党の指導部が会議を行っていました。ここで、東ドイツの重要事項が決められていたことを思うと興味深いですね。

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前半のベルリン壁 記念センターの最寄駅はUバーン8号線の「Bernauer Straße ベルナウアー通り駅」、後半のシュタージ博物館の最寄駅はUバーン5号線の「magdalene straße マクダレーネンシュトラーセ駅」です。

東西ドイツ時代、写真の「ベルナウアー通り駅」は「幽霊駅」でした。「ベルナウアー通り駅」を通るUバーン8号線は西ベルリン→東ベルリン→西ベルリンと通り、西ベルリン側の住民が使っていました。

そこで、東ベルリン側に属するUバーン8号線の駅は全て閉鎖。閉鎖された駅は「幽霊駅」と名付けられました。「ベルナウアー通り駅」はギリギリ東ベルリン側に属していたのです。

お問い合わせはこちらからお願いします。

シュタージ博物館の位置


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