ボスニアのモスタルは復興された世界遺産の橋を持つ町

筆者撮影
Pocket
LINEで送る

首都サラエボからバスで2時間。ボシュニャク人とクロアチア人が住む町、モスタルに着きました。モスタルと言えば2004年に再建され、その後、世界遺産に登録されたスタリ・モストが有名です。今回はスタリ・モストを中心にモスタルを紹介したいと思います。

再建された橋、スタリ・モスト

筆者撮影

筆者撮影

スタリ・モストは16世紀にオスマン帝国のスレイマン1世の命を受けて建てられました。橋の建造には9年の時間を要したそうです。

また、橋の責任者に対しては、前代未聞の橋を作らなければ死刑、というとんでもないプレッシャーをかけました。そのようなプレッシャーにも負けず、責任者は無事に橋を完成させました。

ボスニア紛争はモスタルの人々も苦しめました。1993年、クロアチア人の民兵組織の攻撃によりスタリ・モストは砕け散ったのです。その後、1200万ユーロをかけて、2004年にようやく再建。2005年に世界遺産に登録されました。

筆者撮影

筆者撮影

実際に、橋を見ると完全な対照形には見えないような気がします。それでも、静かに流れる川、周辺にあるイスラーム建築とマッチします。橋を実際に渡ると、結構な勾配で驚きました。

また、道はツルツルしており滑りやすいのが特長です。お年寄りの方は慎重に渡ることをおすすめします。

10月末にも関わらず、橋からのダイビングに挑戦する方も。夏になればもっと賑わうのでしょう。今後、「和解の橋」としての機能が果たされることを望んでいます。

トルコ風の応接間

筆者撮影

筆者撮影

モスタルにはオスマン統治時代に建てられた「トルコ人の家」と呼ばれる建物があります。ガイドブックによると18世紀に建てられたそうです。中に入ると、どこもかしこも絨毯。

川に面しており雰囲気としてはなかなかのもの。ただ、日本でこれをマネするのは無理でしょう。日本ですと暑苦しい印象しかなさそうです。

開放的なモスク、威圧的なカトリック教会

筆者撮影

筆者撮影

もちろん、モスタルにもモスクがあります。それほど規模は大きくありませんが、小ぢんまりとした風通しのよいモスクです。モスクでは早朝にお祈りがあるそうですが、参加するのは老人のみ。

どの宗教も若者は朝が弱い、というのは万国共通のようですね。モスクの塔にも登りましたが、階段が暗くて狭い。高所恐怖症の私にとってはつらい時間でした。

頂上から見ると、オリエンタルな雰囲気が町全体を包んでおり、とても美しかったです。トルコの町に似ていると思います。

筆者撮影

筆者撮影

次に幹線道路を隔ててクロアチア人居住ゾーンへも足を運びました。クロアチア人はキリスト教カトリックなので、カトリック教会があります。このカトリック教会が威圧的でした。開放的なモスクを見たので、そのように感じるのかもしれませんね。

筆者撮影

筆者撮影

モスタルの悲しい歴史

ホステルを出ようとすると、ボシュニャクの主人(おばさん)がYOUTUBEでとあるビデオを見せてくれました。

それは、BBCが撮影した紛争当時のモスタル。民族主義的なプロパガンダが鳴り響き、砲撃の中、逃げ惑う市民の様子が撮影されていました。自然と大粒の涙が出てきました。

モスタルに再びこのような惨劇が起こらないことを、平和に人々が暮らすことを祈るばかりです。

(10月31日)

お問い合わせはこちらからお願いします。

前の記事 次の記事

モスタルの位置

Pocket
LINEで送る

Translate »