なぜユーゴスラビアではインフレがひどかったのか?

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旧ユーゴ諸国に行きますと、ゼロがたくさん並んだ紙幣を見かけます。ユーゴスラビアでは社会主義時代からインフレに悩まされました。なぜ、ユーゴスラビアではインフレが凄まじかったのでしょうか?今回はユーゴ特有のシステムである「自主管理制度」から考えてみたいと思います。

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① ソビエト連邦とは異なる道を進んだユーゴスラビア

ユーゴスラビアといえばチトーですね。第二次世界大戦、チトーは様々な民族によって構成されたパルチザン部隊を率いて、チェトニク(セルビア民族主義者)やウスタシャ(ナチス傀儡国家 クロアチア独立国)と対決。

チトーは自力で勝利し、戦後、6共和国2自治州によって構成される「ユーゴスラビア」を建国することになります。

ユーゴスラビアは他の東欧諸国とは異なり、ソ連による内部干渉を拒絶。その結果、ソ連をトップとする社会主義グループ(コミンフォルム)から追放されます。この辺りから、ユーゴスラビアは独自の社会システムを構築することになるのです。

1980年代からインフレに悩まされるようになります

1980年代からインフレに悩まされるようになります

② 労働者が企業を経営する社会

ユーゴスラビアが打ち立てたシステムが「自主管理制度」です。ものすごーく簡単に書くと「自主管理制度」とは労働者が話し合って、企業を経営するシステムです。当初、国からの指令はありましたが、時代が経つにつれ無くなっていきました。

とは言っても、ズブの素人が会社の経営はできませんよね。そこで、このように分けられました。

経営機能

・労働者評議会(労働者による会議)- 意思形成・決定機能

・専門経営委員会(企業長・専門家)-管理・実行機能

まずは、ユーゴスラビアのシステムは一般的な社会主義のシステムではない、これを頭に叩き込んでください。

③ やっぱり、専門家の意見は強くなる

このように進んだ「自主管理制度」でしたが、やっぱり専門家の力が強くなっていくのです。専門家は何だかんだ言っても経営のプロ。次第に、労働者は不満を持つようになりました。

これには、国からの統制がなくなり、市場に任せた結果、どうしても「効率」が求められるようになった、という背景もあります。

④ 労働者の力を強くして、より細分化する

ここで、ユーゴ指導部は労働者の力を強くする政策を1970年代に発表しました。具体的に書くと、企業の下に「連合労働基礎組織(OOUR オール)」を作り、OOURに強力な決定権を与えたのです。

敢えて日本で例えると、営業部や総務部にある労働者会議に決定権をそれぞれ与えるようなものです。そして、労働者の決定が完全に専門家の意見を上回るようにしました。これ以降、専門家の意見は軽視されるようになります。

そうすると、どのような事が起こるでしょうか。まず、企業としての一体性が著しく損なわれることになりました。それぞれオールで決定するのはいいですが、お互いの事情はあまり考慮されないで決定されることもしばしば。いろんな問題が出てくることは想像に難くありません。

それよりも、恐ろしい結果が待っていたのです。

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⑤ 倒産させないから金をひたすら発行!

問題は予算の決定です。それぞれのオール内で労働者は思い思いの予算の配分を決めていきました。無駄な設備を導入したところもあれば、給料を増やしたところもありました。

そうなると、どうなるでしょうか。企業の経営はどんどん悪くなっていきますね。また、1970年代は石油危機により、マクロ的にも決していい環境ではなかったのです。

企業の経営が悪くなったら、お金がなくって「倒産」しますね。しかーし、社会主義国では労働者に職を与えるのが絶対的義務ですから、簡単には倒産させないのです。

倒産しそうになったら、政府は銀行に倒産しそうな会社を助けるように命じます。そして、中央銀行には多くのお金を刷るように命令。その結果、お金の価値が下がり、インフレが発生、とんでもない財政危機に陥ってしまったのです。

今回の内容はものすごくザックリした内容です。本当はもっと複雑に様々なアクターが絡んでいます。取り敢えず、全体の流れは分かって頂けたでしょうか。

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