ウクライナの首都キエフで文化を学び、悲劇を知る

筆者撮影
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前回に引き続き、キエフ第二弾です。文章の構成上、日にちが前後しますが、ご了承ください。最初にウクライナ建築民族博物館、そしてチェルノブイリ博物館を紹介します。最後に、キエフの生の声からウクライナの「今」を考えたいと思います。

文化を大切にする心 ウクライナ建築民族博物館

筆者撮影

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実質キエフ最終日、12月4日に友人と行きました。地下鉄3号線「vydubychi駅」から寄り道をしながら、歩いて博物館に向かいました。ただ、博物館へストレートにアクセスしたい方はこのコースはオススメしません。

ウクライナ建築民族博物館は野外博物館になっており、1,5km²の広大な土地の中に300棟の伝統建築物と文化的遺物が7万点も展示されています。開設は意外と古く、ソ連時代の1969年です。

私たちは寒い曇り空のなか、ようやく博物館にたどり着きました。「博物館」というよりは「ピクニック場」に近い感覚です。

季節がよければ、シートを開いて弁当を食べても気持ちがいいのでしょう。博物館の敷地内はウクライナの各地方ごとに分けられています。

日本で例えると、近畿地方の建物、中部地方の建物といった感じです。建築物は主に16世紀以降に建てられたものが多いです。

筆者撮影

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まずは西ウクライナ。西ウクライナの建物の特長は木を使っていること。ぱっ、と見た感じ日本と少し似ているかもしれません。

一方、あまり「東欧」という感じはしません。教会もありますが、どの建物も高さはあるものの、横はとても狭い。とにかく窮屈そうな感じです。

筆者撮影

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途中、ポーランドから来た観光客に写真サービスをした後、次は中部ウクライナの建物。白の漆喰、田の字型の窓が特長です。「家」というよりは「小屋」に近い感覚。

これも日本人には受け入れられそうです。そして面白いのは境界にある椅子のような置物。これは人間だけが通れるようにするための工夫らしいのです。ただ、夜中ですと、つまずきそうですね。

筆者撮影

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最後にオデッサなどの南部の建物。こちらは堅固な「石」でできた建物がメイン。「風が吹いても絶対に大丈夫!」と建物から声が聞こえてきそうです。ただし地震には弱そうですが(ウクライナでは基本的に地震は起こらないので大丈夫でしょう)

このように、広大な敷地に自国の建築文化を保存することは素晴らしいと思います。また、夏には民族舞踊、昔ながらのゲーム、食事も楽しめるそうです。

隣国に「ロシア」という存在があるからでしょうか。何とかして自国の文化を守り伝えたい、という思いが感じ取れる博物館でした。次は夏に行きたいですね。

我々はチェルノブイリ原発事故から何を学んだか

筆者撮影

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日本人として絶対に外すことのできないチェルノブイリ原発事故に関する博物館に行きました。ご存知の方も多いと思いますが、簡単に事故のあらましを振り返ります。

ソ連時代の1986年4月26日、ウクライナ共和国、チェルノブイリにあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で大規模な爆発が発生。放射能が外に漏れました。

結果的に、チェルノブイリをはじめとする多くの町が居住できなくなり、多くの人命が失われました。白血病で苦しむ子供たちは記憶に新しいところです。

原因は諸説あります。有力説の中には地震説もあります(東日本大震災前、NHKで地震説に関するドキュメンタリーを見ました)。

展示スペースで目についたのが、事故当日の新聞や書類です。その多くが事故を報じなかったり、「大事ではない」という趣旨のことが書かれていました。

実はソ連政府が正式に事故を「重大事故」として発表したのは事故の3週間後。5月1日のメーデには何とキエフでパレードも行われていたのです。当時のソ連の指導者はゴルバチョフでした。

友人は言いました「ゴルバチョフは本当にひどい政治家。なんで事故が重大にも関わらず、キエフでメーデーを挙行したのか。クレイジーよ」と。

確かに、当初、ゴルバチョフは事故を隠蔽しようとしました。そして、3週間後に発表し、これ以降、「グラースノスチ」(情報公開)が社会的に叫ばれるようになったのです。

しかし、明らかに初動は誤ったのです。なぜ、日本人はこの過ちから何も学ばなかったのか、改めて歴史を学ぶ重要性を再認識しました。

次に注目したのが必死になって事故処理をする人々の様子を写した写真でした。友人によると、彼らは近くから徴兵された軍人とのこと。

もちろん、各共和国からも、多くの人々が集められたのです(その証拠に館内にはソビエト15共和国の国旗がズラッと並んでいました)。

彼らは十分な装備も用意されず、多くの方々が放射線の影響により亡くなりました。「英雄」を示すメダルや書類が虚しくうつります。

筆者撮影 奇形の動物

筆者撮影 奇形の動物

それにしても、友人がすごいのはチェルノブイリ事故が起きた日にち、発電所が建てられた日付、事故のあらましを詳細に覚えていたことです。

そして、福島の事故もよく知っていました。最後に福島の写真を見たとき、悔しさと自分の無知に対する恥ずかしさで涙が出そうになりました。「なぜ、私たちはチェルノブイリ原発事故から何も学ばず、同じ過ちを犯したのか」と。

ウクライナ、どこへ向かうのか

筆者撮影

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キエフでは現地に居住する日本人カメラマンからお話を聞くことができました。現在、ウクライナは紛争や汚職により本当に苦しい立場に置かれています。

ゼミ生は教授に賄賂を渡さないと指導が受けられません。なぜなら、教授に対する給料が安すぎるからです。生活に困っている若い女性は売春に走る人も多いらしいです。その証拠に、ウクライナのエイズ感染者はヨーロッパでトップクラスです。

ウクライナには友人も含めて素晴らしい才能を持った方がたくさんいて、みんな必死に生きています。感心させられるというより、少し自分のことが恥ずかしく感じました。

本当にウクライナが「いい国」になるように、そして、何とか東部ウクライナに平和が戻るように祈るばかりです。

(11月29日~12月4日)

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