チェコ第二の都市、ブルノはユニークな街だった

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チェコ第二の都市、ブルノにいます。チェコに入るとスロバキアとは似ているようで似ていません。スロバキアと比べると「スタイリッシュ」な感じがします。さて、ブルノですが地下博物館や監獄などユニークな見所が満載でした。

2017年度版、ブルノの記事はこちらです。

青果市場でみなさん買い物

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泊まっているホステルがブルノの中心地にあるので観光にはとても便利です。10時にホステルを出て、ブルノの胃袋、青果市場に着きました。広場に果物や野菜を売る市場が並んでいます。

地元の住民はここで野菜や果物を購入するみたいです。様々なコミュニケーションが生まれるので、スーパーよりもはるかに素晴らしいと思います。

また、量り売りをしているのでムダがありません。私も早速、りんごを4個購入して、1個を丸かじりにして食べました。手頃な大きさだったので食べやすく、とても美味しかったです。

日本でもこのような市場を復活させたら良いと思います。この後、モラビア地方博物館に行きましたがチェコ語の表示だけだったので、あまりおもしろくありませんでした。次に紹介する地下博物館の方がはるかにおもしろかったです。

青果市場の下に地下博物館

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先ほど紹介した青果市場の下に地下博物館があります。地下8メートルまで下がり、だいたい40分かけて登り降りします。英語のオーディオガイドもあるので分かりやすいです。

まず、入って目に付くのはビーカーなどの理科の実験で見たような装置。この装置は錬金術で使われたようです。できないことに、これだけの時間と費用をかける根気に感心させられます。欲望があると根気は続くのでしょうか。

もちろん、人々の普段の生活の様子を紹介したコーナーもありました。特に18~19世紀のバーはおもしろかったですね。基本的に今と変わらない姿が逆に新鮮でした。

監獄となった城 シュピルベルク城

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ブルノのハイライトはシュピルベルク城だと思うのです。もともと、この城は13世紀に建てられたのですが、役割が城から監獄に変わったのです。

1783年、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世はこの城を公民刑務所にすることに決めました。ここには革命に参加した政治犯も収容されました。

その後、1855年に軍隊の兵舎となりましたが、第二次世界大戦で再び悲劇的な使われ方をされました。チェコを占領したナチスが城を監獄として使用したのです。

多くの人々が非人道的な扱いをされたことを想像に難くありません。戦争終了後、博物館になりました。私は塔や展示物を全て見られるコースを選択しました。展示物では19世紀の中欧各地で勃発した革命が紹介されていました。

このような先人の苦労があって、「今」があるのだな、と改めて思い知らされました。もちろん、拷問のイラストも出てきます。よくもまあ、これだけ罰を考えられると逆に感心させられます。

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次に一転、ビールの展示になりました。革命からビール、落差が激しいです。個人的に興味深かったのは共産主義時代の展示。

共産主義時代のポスターや音楽がかかっていました。レストランやバーは自由に経営できなかった時代。高級ホテルを中心に物の横流しが行われていたようです。

筆者撮影

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次は現代美術コーナー。思うのですが、中欧の城は高い確率で現代美術の展示コーナーがあります。それも、私みたいな素人でも楽しめるレベルの高さです。

今回も目をひいた作品がいくつかありました。文章で書くよりも写真を見て頂いた方がよくわかると思います。

筆者撮影

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最後に塔に登りました。こうして、上から見ると、ブルノはプラハにどことなく似ています。「ミニプラハ」という感じでしょうか。それでいて、監獄や地下などユニークな施設も多い。「チェコらしさ」を感じる街、ブルノでした。

(9月30日)

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