ベラルーシ・2つの世界圏の狭間で生きる国

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2018年5月の旅行において、東ヨーロッパのベラルーシを訪れた。ベラルーシはヨーロッパ、いや世界を見渡しても不思議な国だ。ここでは、そんな不思議でマニアックなベラルーシの魅力をお伝えできればと思う。

① 民族意識の低い権威主義体制国家、ベラルーシ 

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ベラルーシの最大の特徴は民族意識が低いことだ。いや、お上が民族意識を抑えている、と表現したほうがいいのかもしれない。私はベルリンから夜行列車に乗り、ミンスク駅で降りた。

ミンスク駅で降りると、目の前に現れたのは緑色と赤色をした無数の旗。実は、このベラルーシの旗に秘密が隠されている。

白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗

白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗

ベラルーシは1991年にソビエト連邦から独立した若い国だ。ソビエト時代は「白ロシアソビエト社会主義共和国」として、ソビエトの一共和国だった。

現在のベラルーシの国旗は「白ロシアソビエト社会主義共和国」をモデルとしている。

同じように見えるが、ソビエト時代の国旗から社会主義を象徴する「鎌とハンマー」が取り除かれている。

1991年~1995年のベラルーシ国旗

1991年~1995年のベラルーシ国旗

しかし、1991年に独立した際の国旗は白地に赤帯が入ったものだった。この旗は1918年に独立したベラルーシ人民共和国の旗だ。

本来ならば、ベラルーシ人民共和国時代の旗が独立ベラルーシにふさわしいと思われる。

だが、1995年に就任したルカシェンコ大統領はベラルーシ人民共和国時代の国旗はナチス・ドイツに協力した民族主義者が使っていたと主張。その後、現在の国旗に落ち着いた。

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ベラルーシ自身もソビエト時代の旗に愛着を持っていたとのこと。それでも、これだけ国旗が多いと、むりやりお上が価値観を植え付けているような感じもする。

ルカシェンコ・ベラルーシの象徴が現国旗のような印象を持った。

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ソビエトビルディングが多い中で、注目したいのがレーニン広場だ。旧ソ連諸国広しといえども、ロシア以外で「レーニン広場」を名乗っているのはベラルーシくらいではないだろうか。

そして、立派なレーニン像が鎮座している。ベラルーシは社会主義国ではないが、ソ連のアイデンティティーを利用した国家といえる。なかなか興味深い国だ。

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なお、近年、ミンスクの通りの名前は次々とソビエトチックなものに変わっているとのことだ。

② スターリンが今でも見られる戦勝記念日のセレモニー

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私は翌5月9日にミンスクの勝利広場で行われた戦勝記念日のセレモニーに参加した。ミンスクは第二次世界大戦において甚大な被害を受け、ソビエト時代には「英雄都市」の称号を得ている。

第二次世界大戦の勝利は今でもベラルーシ、ミンスクの人々にとって祝福すべき日だ。

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12時、ソビエト時代の白ロシア国歌をベースにしたベラルーシ国歌が流れた。その後、ルカシェンコ大統領がロシア語でスピーチし、兵士のプラカードを掲げた少年が集まった。

このように書くと、厳かな式典に感じるかもしれないが、全体的にはのんびりとした雰囲気だった。

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私の目の前では見ず知らずの老女が少年に話しかけていた。おそらく、第二次世界大戦にまつわることだろう。戦勝記念日は世代を越え、ベラルーシの人々が交流する場、そのように感じられた。

言い換えるなら、戦勝記念日は見ず知らずの人々と交流する機会を与えている。

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驚いたのが退役軍人のグループがスターリンの肖像画を掲げていたことだ。ベラルーシの隣国にあたるバルト3国ではベラルーシは忌むべき人物。多くの無実の人々を流刑にし、殺害した非道な政治家というレッテルが貼られている。

しかし、ベラルーシでは少なくとも公的にスターリンを賛美することが許されているのだ。

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独立当初はベラルーシでもスターリンの戦争犯罪を調査する動きはあったが、その動きは弱く、ナチス・ドイツの犯罪を強調することでうやむやになった。

バルト3国との差はなんだろうか。バルト3国は約20年にわたり独立時代を経験した。一方、ベラルーシでは完全な独立時代はなく、高等な文化人は現れなかってので、民族意識は希薄だった。

ソビエト、第二次世界大戦のアイデンティティーに頼らざるを得ないベラルーシの現状を垣間見た。

実際、ベラルーシ人にソビエトについて聞いてみると「ソビエトは国が大きくてよかった。ベラルーシは本当に小さい。ロシアと組んでアメリカに対抗しないと」という答えが聞かれた。

③ 不思議な国ベラルーシが持つ2つの世界遺産

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今までの文章を読むと、ベラルーシがソビエト一色に染まっているように感じるかもしれない。そんなことはない! ベラルーシがリトアニア、ポーランド、ヨーロッパの影響も受けている。

それが、ここで紹介する2つの世界遺産、ミール城とニャースヴィシュ宮殿だ。

ミール城はミンスクから南西方向にある。ミンスクからバスで2時間ほどだ。ミール城の詳細を語る前に少しだけベラルーシの歴史に触れておきたい。

ベラルーシは13世紀までにリトアニア大公国、14世紀から18世紀までリトアニア・ポーランドの支配下にあった。そのため、今でも西部を中心にポーランドの影響が残る。

また、ロシア正教にも混じって、カトリック教会も見られる。

ミール城は16世紀、ヨーロッパを恐怖に陥れたタタールからの攻撃に備えるために建てられた。なお、ベラルーシは数々の戦争の激闘地になっている。

そのため、ミール城のような生き残り文化財は本当に貴重だ。

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その後、ラジヴィウ家が城の主となり、ゴシック建築からルネサンス建築に改装された。

ゴシック、ルネサンスのほかにバロック様式も見られ、さまざまな建築様式が凝縮されている点が高く評価されている。

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確かに、おとぎ話に出てきそうなメルヘンな塔があると思いきや、ギリシャ建築のような直線の整然とした通路がある。このちぐはぐな感じがミール城の特色だろう。

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もうひとつが同じくミンスクから南西方向にあるニャースヴィシュ宮殿だ。ニャースヴィシュの宮殿はラジヴィウ家により、1583年に建築がはじまった。

建築には少なくとも、イタリアの建築家が建設に関わっていたことはわかっている。様式は時代に合わせてルネサンス様式、ゴシック様式で建設された。

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18世紀に起きた北方戦争により宮殿は大ダメージを受けた。それでも、復旧が進められ、左右の建物と4階部分が完成した。

このようにニャースヴィシュの宮殿は戦争を乗り換えながら、西欧風の建築スタイルで建てられた。ここで、明らかにロシアとの違いを感じさせる。

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城内も東欧というよりは中欧の城によくあるようなレイアウトだ。ニャースヴィシュの宮殿はベラルーシの性格を示すだけでなく、リトアニア大公国の栄華を今に伝える観光スポットでもある。

④ 2つの世界の狭間で生きる国、ベラルーシ 

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このように見ていくと、ベラルーシはロシア圏と中欧圏の狭間で生きている国だ。そのため、この2つの世界圏においてバランスを取るために、四苦八苦しているのだろう。

民族意識が低いユニークな状態がこのまま続くのだろうか。いろいろと興味は尽きない。

⑤ ベラルーシへの行き方 

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ロシア以外の国から空路でミンスク空港inのコースに限り、ビザなし渡航が認められている。できれば、ポーランド、ドイツ、トルコから空路でベラルーシに入りたいものだ。

陸上だと鉄道が便利。特にリトアニアのヴィリニュスからだと数時間でミンスクに着く。なお、この場合はビザが必要となるので、注意が必要だ。

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