今回はルネサンス様式の華やかな城を持つリトミシュルを紹介します。リトミシュルは一言で書くなら「チェコの魅力が詰まった華やかな玉手箱」。一体、どのような町なのでしょうか。さっそく、見ていきましょう。
リトミシュルへのアクセス
プラハからリトミシュルへはバスが便利です。まずは、プラハにあるフローレンツのバスターミナルからフラデツ・クラーロヴェー(Hradec Králové)へ向かいましょう。
フランデツ・クラーロヴェーでリトミシュル方面行きのバスに乗り換えます。プラハからの所要時間は約3時間です。なお、所要時間は駅からです、ご注意ください。
本数はそれほど多くないので、必ずバスに乗る前日に時刻を確認することをおすすめします。リトミシュルには鉄道駅もあります。しかし、プラハからですと2回以上の乗り換えが必要なため、おすすめできません。
活気あふれるリトミシュルのフードイベント
私たちが訪れた時は、ガストロフェスティバル(マグダレナ・ドブロミラ・レッティンゴヴァーの食の祭典)が行われていました。このフェスティバルは毎年5月に開催されます。
南北に長いスメタナ広場には多くの屋台が軒を連ねていました。どの屋台を見ても、おいしそうなチェコ料理がいっぱい。本当にどれを食べていいか迷ってしまいます。
すると、屋台にいたおじさんがビールをおごってくれました。それが「ペルンシュテイン」というビール。
おそらく、リトミシュル城の領主、ペルンシュテイン家に由来すると思います。とても飲みやすいビールで、ビールが苦手な私でもゴクゴクと飲んでしまいました。
フードはガチョウのスープをチョイス。独特のガチョウの肉の味わいが口いっぱいに広がりました。
ところで、このイベントでお寿司を見かけました。出展者はチェコ在住の日本人とオロモウツのパラツキー大学の学生。
なかなか、本格的なお寿司でおいしかったです。列に並んていたチェコ人の若い女性に聞くと「お寿司は大好きでよく食べる」とのこと。チェコでも和食はポピュラーみたいですね。
垢抜けた雰囲気を持つリトミシュル城
リトミシュル最大の見所が世界遺産に登録されているリトミシュル城です。まずは城の外観をチェックしましょう。
手紙の封筒みたいな模様「レターズ」が本当によく目立ちます。リトミシュル城はルネサンス様式となっています。そのため、どこか垢抜けた雰囲気が感じられます。
リトミシュル城は1568年~1582年にかけてルネサンス様式で建てられました。建てた人物はペルンシュテイン家のブラティスラフです。
彼はスペインから嫁いできたお妃さんのために、このような立派な城を造ったのです。きっと、お妃さんは大喜びしたことでしょう。
この「レターズ」と呼ばれる模様は8000枚もあり、それぞれ模様が異なります。よく見ると、動物やプラハの一大観光スポット、カレル橋が描かれています。
「レターズ」は17世紀に「流行遅れ」とみなされ、姿を消したことがあります。現在の「レターズ」は1980年代に復元されたものです。
中庭に入ると、ポーランド・クラクフにあるヴァヴェル城とよく似ていることに気づきます。しかし、こちらのリトミシュル城のほうが華やかな雰囲気。
やはり、チェコのスピリットを反映しているのでしょうか。そのようなことを考えながら、まじまじと城を見ていました。
城内に入り階段を登ると、あることに気づきました。そうです、階段がなだらかで一段がとても低いのです。これはスムーズに城内へ馬が乗り入れるために工夫されたものです。
これは18世紀に作られたバロック様式の劇場です。昔、貴族がコメディー劇を演じて楽しんでいたそうです。
残念ながら、現在は見学のみとなっていますが、一見の価値はあります。ちなみに、このようなバロック式の劇場は世界で五つしか存在しません。そのうちのひとつがチェコ西部の町、チェスキークルムロフにあります。
こちらは謁見の間。他の部屋よりも格調が高く、背中が自然とピンとなります。この部屋にはハプスブルク帝国の有名人の肖像画があります。
こちらの女性はマリー・アントワネットの母にあたるマリア・テレジアです。マリア・テレジアは啓蒙専制君主として知られ、ハプスブルク帝国の発展に大きく貢献しました。
チェコは長年、ハプスブルク帝国に支配されたので、マリア・テレジアの肖像画をよく見かけます。
精悍な顔立ちをした人物はマリア・テレジアの息子、ヨーゼフ2世です。ヨーゼフ2世も啓蒙専制君主で知られ、ハプスブルク帝国の発展に大きく貢献しました。
一方、チェコの行政機関にドイツ語を押し付けた人物でもあります。つまり、役所ではチェコ語が使えなかったのです。
ガイドに聞いてみると「確かに行政機関ではチェコ語は使えなかったが、普段の生活ではチェコ語は使われていた」とのことでした。
次は城の調度品に注目しましょう。こちらの椅子、妙に足が曲がっていますね。これは18世紀にフランスで流行したスタイルです。少しアフリカぽい雰囲気が漂います。
歴史好きにはたまらない部屋が男性用プレイルームです。ここでは夕食後に貴族がカードゲームやビリヤードを楽しんでいました。注目して欲しいのがこの迫力ある絵画です。この絵画に描かれているのは18世紀に起きた大戦争、オーストリア継承戦争です。
オーストリア継承戦争は、ハプスブルク帝国を弱体化させようとしたフランスの試みが失敗に終わった戦争で知られています。きっと、貴族は誇らしげにこの絵画を見たことでしょう。
男性用プレイルームの隣がメルヘンチックな雰囲気漂う女性用プレイルームです。この部屋には暖炉が設置されています。リトミシュル城はきちんと女性に配慮された城であることがわかります。
彫刻からチェコ現代史を読み解く
リトミシュル城の魅力はこれだけにとどまりません。地下にはチェコ人の彫刻家、オルブラム・ゾウべクの作品が展示されています。
ゾウべクは1926年、プラハ生まれ。現在も存命中です。ゾウベクは彫刻家ですが、チェコの現代史に密接な関係のある人物です。
第二次世界大戦後、チェコスロバキアはソ連をはじめとする社会主義陣営に入りました。1968年、チェコスロバキアでは独自の社会主義を目指した「プラハの春」が進められました。
しかし、ソビエト連邦をトップとするワルシャワ条約機構軍によって踏みつけられてしまいます。その後、1989年の「ビロード革命」までチェコスロバキアは社会主義独裁政権の支配下にあったのです。
ゾウべクは社会主義政権に対抗した文化人のひとりです。1968年、プラハを追われリトミシュルで修復作業に従事しました。そのため、ゾウべクはリトミシュルの人々から尊敬され愛されているのです。
私が注目したのは1968年の作品「蛇」。何とも言えない顔の表情がその時の社会情勢を反映しているように感じました。残念ながら、この作品と「プラハの春」との正確な関係はわかりませんでした。
こちらは「ヴァーツラフ・ハベルの心臓」という作品です。ハベルはもともとは劇作家で、社会主義体制に抵抗した人物です。1989年の「ビロード革命」の後、初代大統領に就任しました。
この作品はハベルが亡くなった後に造られた作品です。いかに、チェコの人々がハベルを愛しているか、よくわかりますね。
チェコ「らしさ」を感じるリトミシュル
これはあくまでも個人の感想ですが、リトミシュルはチェコのスピリットを一番感じた町でした。すなわち「垢抜けた雰囲気」があちこちで感じられるのです。
隣国のポーランドではこのような雰囲気はあまり感じられません。ぜひ、リトミシュルでチェコスピリットを感じてくださいね。
リトミシュルの位置
ホームページ
※なお、この旅行はチェコ共和国政府観光局主催のプレスツアーです。チェコ共和国政府観光局からは宿泊費、移動費、食費等のご支援を頂きました。