歴史上、ユーゴスラビアと名のつく国は3つある。その中で最も影が薄く、しかし大切なのが1990年代に登場したユーゴスラビア連邦共和国だ。構成国はセルビアとモンテネグロだ。ユーゴスラビア連邦共和国は新ユーゴと記載されることが多い。
新ユーゴは旧ユーゴと同様に各共和国の権限が強かった。連邦政府の役割はせいぜい外交くらいのもの。そのため、新ユーゴで最も力のあったポジションは連邦大統領でも連邦首相でもなく、セルビア共和国大統領であった。すなわち、ミロシェビッチである。
新ユーゴ設立において、重要なことはミロシェビッチがアメリカ系移民のパニッチを連邦首相に指名したことだ。
結局は大セルビアを目指していたミロシェビッチとは異なり、パニッチはユーゴスラビアの平和、経済の再生に力を注いだ。
特に対西側外交に力を入れた。しかし、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに遅れを取り、なかなか成果は挙げられないでいた。その背景には西側の思惑とボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人指導者、カラジッチの非妥協的な姿勢があったように思われる。
しかし、パニッチを潰したのは西側ではない。結局はミロシェビッチであり、不信任案に賛成したセルビア急進党をはじめとする議員であった。
連邦首相を解かれたパニッチはセルビア共和国の大統領選挙に出馬する。お相手はミロシェビッチ。世論調査からパニッチ有利と見られていた。
しかし、結局はミロシェビッチが勝利した。西側にすり寄るパニッチがセルビア人からすると裏切り者に見えたという指摘もある。また、ミロシェビッチ側による大規模な選挙妨害を忘れてはならない。結局、敗れたパニッチは政治から身を引くことになった。
いつも思うが、アメリカ移民のパニッチが引退したことがセルビアにとって、とてつもなくマイナスだったように思える。彼を政界引退に追い込んだのは西側ではなく、セルビア人、ミロシェビッチだった。