みなさん、こんにちは。個人的にクロアチアで最もディープなスポットは「トゥジマン大統領の家」だと思います。「トゥジマン大統領の家」は文字通り、トゥジマン大統領の実家。
同時にトゥジマン大統領に関する簡単なミュージアムになっています。それでは、トゥジマンハウスを皆さんにご紹介します。
① そもそも、トゥジマン大統領とは?
まずはトゥジマン大統領を確認しておきましょう。日本ですと全く知られていない人物ですが、ほとんどのクロアチア人は彼の名前を知っています。トゥジマン大統領はクロアチア共和国初代大統領です。
クロアチアを独立に導いた人物、格好よく表現すると「独立の父」ですね。 トゥジマン大統領は1922年、クロアチア生まれ。意外に思われるかもしれませんが、当初はチトー率いるパルチザン部隊に入っていました。
しかし、第二次世界大戦が終わるとクロアチア、ユーゴスラビアをめぐってチトーと対立。軍人をやめて歴史家に転身します。「歴史家」といっても「反体制歴史家」という言葉が近いと思います。
ユーゴスラビア時代は政治犯として何回も逮捕されました。1980年代末、カナダにわたり、クロアチア移民の支持を取り付け、クロアチア共和国初代大統領に就任。
クロアチアを独立に導いた一方、国内にいたセルビア人に対する不寛容な政策は批判を浴びました。1999年、在職のまま、この世を去りました。
② 質素かつディープなトゥジマン大統領の家
私は今から7年前にトゥジマン大統領の家を訪れました。外観は意外と質素。クロアチアの旗が堂々とはためいています。私が着いたときは鍵がかかっていましたが、すぐにスタッフが開けてくれました。
スタッフ曰く、私が初の日本人訪問者とのこと。ちなみに、中国人旅行者はちょくちょく訪れているようです。 内装も質素です。質素ですが、それぞれの写真や展示物はなかなかディープです。おそらく、肖像画マニアにとっては狂喜乱舞するところでしょう。 真ん中の人物が若かりしトゥジマン。大統領就任時からは想像もつかないほどイケメンです。運動神経抜群に見えるのは私だけでしょうか。 写真の多くは大統領就任以降のものです。これは1990年、トゥジマンがクロアチア共和国大統領に就任したときの写真。いやあ、キャラが濃いですね。セルビアのミロシェビッチにしろ、ボスニアのイゼトベコビッチにしろ、なぜこの時代のバルカンの政治家はキャラが濃いのでしょうか。 こちらはゴイコ・シュシャク防衛大臣の2ショット写真。シュシャクはユーゴ時代、カナダで暮らしていました。その後、クロアチアに戻り防衛大臣に「出世」したわけです。ところで、トゥジマンの軍服姿・・・。あまり似合っていません。 クロアチアはユーゴスラビアと熾烈な争いを繰り広げました。これは1997年、ヴコヴァルでの演説です。1998年、正式にヴコヴァルはクロアチア領に復帰しました。それにしても、全てにおいて演説がアメリカスタイルですね。 同じくクロアチア紛争に関する展示物です。この本の題名はずばり「自由列車」。クロアチアの首都、ザグレブから海岸の街、スプリットまでの鉄道が再開したときの本です。
1990年代前半、ザグレブ―スプリット線にある主要都市、クニンはセルビア人の手にわたっていました。1995年、クロアチア軍による「嵐作戦」によって、クニンは再びクロアチア領になったわけです。 ヨハネ=パウロ2世の2ショット写真もありました。トゥジマンはヨハネ=パウロ2世のクロアチア訪問を切望していました。それがようやく叶えられたわけです。トゥジマンの表情を見ると「感無量」という感じが伝わってきますね。
③ トゥジマン大統領の家への行き方
トゥジマン大統領の家はヴェリコ・トルゴヴィシツェにあります。ヴェリコ・トルゴヴィシツェへは首都のザグレブから普通列車で1時間ほど。駅のスタッフに「ヴェリコ・トルゴヴィシツェ」といえば案内してくれます。
ヴェリコ・トルゴヴィシツェ駅からトゥジマン大統領の家までは歩いて約10分です。駅舎を背にする形で左手にまっすぐ歩きます。