市川紗椰さんも訪れたマニアックな彫像公園を現地視察 

筆者撮影
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セルビアからルーマニアに抜けようとしましたが、時間が中途半端だったのでハンガリーのブダペストに戻ることにしました。宿はもちろん、日本人宿のアンダンテ。ここで管理人の金子さんから、市川 紗椰さんの動画を見るように、との管理人指令が。

動画を見ると社会主義時代の銅像が集められている彫像公園が紹介されていました。前々から気になっていたので、彫像公園に出かけてみることにしました。

彫像公園への行き方

彫像公園は市内から外れているので少々行きにくいです。まずは地下鉄などでデアーク広場まで出ましょう。

ここから、路面電車の47号系統に乗ってください。47系統はデアーク広場が始発なので行き先は心配ありません。Újbuda-központ(ウィブーダ・コシュボンド)で下車です。なお、Újbuda-központ駅へは地下鉄4号線でもたどり着けます。

ここから、バスの150系統に乗り換え。Memento Parkバス停下車です。なお、路面電車、バスとも車内に表示板、放送が完備されているので初めて乗る方でも大丈夫です。切符は前もって購入するようにしましょう。デアーク広場から40分~60分は見てください。

本当にディープなブダペストの彫像公園で

筆者撮影 レーニン

1500フォリントを払って中に入ると、共産主義の親玉、レーニンや巨大な銅像達がお出迎えしてくれます。そもそも、ハンガリーは第二次世界大戦後、ソ連の圧力により共産主義陣営に組み込まれました。

その後、1988年まで社会主義労働者党(共産党)の独裁体制が続いたのです。共産主義政権崩壊後、街にあった共産主義的な銅像がここに集められました。

筆者撮影 クン・ベラ

筆者撮影 クン・ベラ

それにしても、どれもこれも見ているとファイトが沸いてきますが、軽いうつ状態ですと、精神を悪化させる銅像にも思えます。ハンガリーで特徴なのは、クン・ベラ(1886年~1939年)の銅像が多いことです。

実は、ハンガリーは第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に、共産主義政権が樹立されたことがありました。その時の指導者がクン・ベラだったのです。

反対に、第二次世界大戦後の共産主義政権の最初の指導者、ラーコシの銅像は全く見当たりませんでした。おそらく、スターリン批判と共に葬り去られたのだと思います。

さすがに、ハンガリー動乱後の指導者、カーダールの銅像も見かけませんでした。これもスターリン批判(個人崇拝に対する批判)が影響しているのでしょうか。

筆者撮影

筆者撮影

体制が変わって銅像を壊すのではなく、脱政治化した上で保存するのは素晴らしいアイディアだと思います。日本も何か見習えそうですね。

市川さんは3時間、ここにいたらしいですが、私は1時間で済みました。が、濃密度は彼女に決してひけを取らないはずです。

(11月9日)

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