今回は中欧に国、スロバキアの首都ブラチスラヴァについて書きます。ブラチスラヴァはスロバキアの西端にあります。なぜ、このような場所が首都になったのでしょうか。反対運動は起こらなかったのでしょうか。そのあたりを一緒に見ていきましょう。
①そもそも、スロバキアとはどんな国?
「スロバキア」と聞かれてもピンと来る方は少ないと思うので、まずはスロバキアの概要を説明します。年配の方ですと「チェコスロバキア」の方が馴染みがあるかもしれませんね。
スロバキアはチェコと分離する形で1993年1月に独立を果たしました。人口は540万人。面積は49,000平方kmです。2004年にEUに加盟し、2009年にはユーロを導入しました。
スロバキアに住んでいる人々はスラヴ系のスロバキア人(約80%)、ハンガリー人(5%)となっています。公用語はスロバキア語です。もともと、スロバキアは第一次世界大戦までハンガリー領だったので、南部にはハンガリー人が住んでいるのです。
全体的に山がちな土地で、人々が居住しているエリアは限られています。スロバキアと言えば様々なスポーツが楽しめるタトラ山とワインでしょう。スロバキアのワインは安価で飲みやすいのが特徴。スロバキアワインを飲む機会があれば、ぜひお試し下さい。
②ブラチスラヴァとはどんな街か
さて、今回の主役、首都のブラチスラヴァを見ていきましょう。ブラチスラヴァはオーストリアのウィーンから列車でわずか1時間の場所にあります。人口は約42万人、スロバキア最大の都市です。
ブラチスラヴァはドナウ河に接し、ハンガリーとオーストリアの中継地として栄えてきたのです。ブラチスラヴァができたのは9世紀のころと見られています。
その後、現在のスロバキアはハンガリー領となり、1291年にブラチスラヴァはハンガリーの「自治都市」となりました。つまり、ここでブラチスラヴァはハンガリーを代表する「都市」となったのです。
ブラチスラヴァが大きな転機を迎えるのが1526年のモハーチの戦い。この戦いでハンガリーはオスマン軍に大敗を喫し、ハンガリーの大部分がオスマン帝国に占領されてしまいました。そして、1536年、なんとブラチスラヴァはハンガリーの「首都」となったのです!
1830年までハンガリー王の戴冠式はブラチスラヴァ城で行われていました。その後、ハンガリーの首都は現在のブダペストに移り、ブラチスラヴァは再び、普通の「都市」となりました。
なお、この時点ではブラチスラヴァはドイツ系、マジャール系(ハンガリー)、スロバキア系が入り混じるコスモポリタンな街でした。実は、ハンガリー王国時代、ブラチスラヴァにおいてスロバキア系は少数派でマジャール系が多数派だったのです。
第一次世界大戦を経て「チェコスロバキア」が成立。ブラチスラヴァはスロバキア側の最大都市になったのです。
③実はあったブラチスラヴァ中心都市反対案
簡単にブラチスラヴァの歴史を説明しましたが、疑問に思いませんか? スロバキアの西端に位置し、スロバキア人が少数派の街をスロバキアの「中心都市」にするのは変ではないか、と。
実際に、20世紀に、スロバキアの中心都市を北部の「マルティン」という街に移設する運動がスロバキア人知識人の中で起こりました。
19世紀、マルティンは鉄道の開通により発展していました。また、マルティンはスロバキアの民族運動にとってシンボリックな街だったのです。マルティンで集会が行われ、スロバキア人オリジナルの政党も作られたのです。
マルティンを「中心都市」にすべきだ!と主張した政治家がフェドル・ルッペルトです。彼は1919年付近にかけて「マルティン移設案」を主張しました。その理由を簡単にまとめると以下の3点になります。
1 やっぱり、国家・地域の「首都」は中心じゃないとだめでしょ。おまけに、マルティンは民族運動の中心だから都合がいい
2 ブラチスラヴァを再開発するのは金がかかる。だから、スロバキア人中心で人件費が安いマルティンだとお得でしょ
3 ブラチスラヴァはコスモポリタンでスロバキアらしさがない! スロバキアらしさムンムンのマルティンが相応しい
ところが、ルッベルトさんのように考えるスロバキア人知識人は少数派でした。多数派は以下の理由でブラチスラヴァを「中心都市」であり続けるべきだと主張しました。
1 何だかんだいって、ブラチスラヴァは経済の中心だし、いいじゃん今のままで。
2 中心都市を移すやる気があれば、ブラチスラヴァをスロバキアらしい街に改造するのはすぐにできるはず。
こうして、めでたく(?)ブラチスラヴァはスロバキアの「中心都市」となり、1993年に満を持してスロバキア共和国の首都になったのです。
④最後に+参考文献のご紹介
私はスロバキア・ブラチスラヴァに計3回行きました。しかし、上記の事実を知り、ブラチスラヴァの見方が変わり、より一層、街が生き生きとして見えてきました。やはり、その土地、その街の歴史や背景を知ると面白みが倍増します。ぜひ、参考にしてください。
なお、今回の記事を読んで「スロバキア知りたい!」と思いましたら、下記の本を手に取ってください。今回の記事は下記の本を参考に執筆しました。
木村真 他編『東欧地域研究の現在』2012年、山川出版社。
伊東孝之 他監『東欧を知る事典』2003年、平凡社。
『スロバキア 絵入りガイド』2006年、MAETIN SLOBODA