【東欧・社会主義国】「社会主義国」といってもこれだけの違いがある 

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みなさん、こんにちは。「社会主義国」と聞いて、どのような世界をイメージするでしょうか。北朝鮮のように、公開処刑が横行するような社会でしょうか。実は「社会主義国」といっても、さまざまな「社会」がありました。今回は「東欧」を例にとって説明しましょう。

① ソフトな社会主義国、ハンガリー 

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最初に紹介するのは東欧圏でユーゴスラビアの次にソフトで自由な社会主義国、ハンガリーです。ただし「ソフト」といっても、1956年の「ハンガリー動乱」以降です。「ハンガリー動乱」は共産党一党独裁の放棄、ソ連ブロックからの離脱をソ連が力でねじ伏せた事件でした。

「ハンガリー動乱」以降、共産党のリーダーになったのがヤーノッシュ・カーダールです。カーダールは聖書の言葉を引用する形で「敵でないものは味方である」という姿勢で政治に当たりました。ソ連との友好関係、一党独裁を維持しながら、ソフト路線を目指しました。

具体的には検閲が他国よりも緩やかでした。ハンガリーの新聞はAPやロイターといった西側の記事もそのまま採用していました。もちろん、西側の記事を選択するにあたり、様々な政治状況は考慮されました。それでも、東側で西側の記事が読めること自体、新鮮だったのです。

また、ハンガリーは社会主義圏のなかで最も私企業が進出した国です。1970年代、ハンガリーではレストラン、土産物屋、自動車修理など実に150以上の業種が私企業でした。法律では私企業の従業員は原則2人のみでしたが、特例で従業員9人までOKでした。そのため、ブダペストは他の東欧諸国よりも華やかな都市でした。また、国営企業であっても労働者の雇用、投資、生産の自主性が認められていました。

② 自主管理の国、ユーゴスラビア

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最もユニークな社会主義国はユーゴスラビアでしょう。ユーゴスラビアは労働者が政治、社会、経済を運営する「自主管理制度」というシステムを採用していました。これは国が一方的に企業、国民をコントロールするソ連式社会主義を「反面教師」としたもの。

そのため「社会主義」といってもソビエト連邦とユーゴスラビアはまったく異なります。しかし、あまりにも制度が複雑かつ素人が経営したので、社会は崩壊の一途をたどりました。

一方、検閲は本当に緩やかなものでした。建国当初は検閲が厳しかったようですが、時代が経つにつれどんどん緩やかになりました。もちろん、お国柄、民族主義や歴史的対立を煽る発言はNGでしたが、それ以外はOKと考えていいでしょう。そのため、ユーゴスラビアのプロパガンダソングはどこかロック調の曲もあります。

③ 北朝鮮並みに厳しい社会だったルーマニア

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「緩い」国もあれば「キツイ」国もありました。その代表格がルーマニアです。ルーマニアではニコラエ・チャウシェスクという個性的な独裁者がのさばっていました。チャウシェスク体制の特徴は個人崇拝。他の東欧諸国ではスターリン死去後、個人崇拝は行われませんでした。

しかし、チャウシェスクは中国や北朝鮮に感化され、個人崇拝をどんどん推し進めました。街には至るところにチャウシェスクの肖像画が掲げられたのです。

もちろん、情報統制も厳しいものでした。国家、党、社会主義体制に対する攻撃は一切禁止されていました。拡大解釈すれば、ちょっとした愚痴も逮捕されたことでしょう。また、タイプライターも登録制でした。

社会も厳しく、東欧圏で一番労働時間が長いのがルーマニアでした。1970年代になっても、ルーマニアは週48時間、6日労働制でした。また、休日も人民はボランティアという形で働かせていました。これで経済がよくなればいいのですが、途中で経済成長は鈍化。最後は完全に見放され、チャウシェスクは処刑されるのです。


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